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武田氏館(茨城県ひたちなか市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_6254.JPG←想像復元された館
 武田氏館は、後に甲斐守護となり、武田信玄を輩出した甲斐武田氏の祖宗興隆の地である。平安時代末期(12世紀初め頃)、八幡太郎源義家の弟新羅三郎義光は後三年の役の後、常陸平氏の娘を妻としたことを足掛かりに常陸国への進出を図った。そして諸子を常陸各地に分封した。長男義業には吉田城主吉田清幹の娘を妻に迎え、久慈郡佐竹郷に置いた(佐竹氏の祖)。また3男義清は、那賀郡武田郷に土着させた。義清は、眼下に那珂川を望む台地の突端に居館を構え、武田氏を称して武田氏の始祖となった。また上野介源兼宗の娘を妻として清光を儲けた。義清・清光は、武田郷周辺の在地豪族との間で勢力を張り合っていたが、勢力拡大を焦るあまり吉田清幹・盛幹らに疎んじられ、1130年に「濫行」の罪を以って朝廷に告発された。義清・清光父子は甲斐国に配流となり、そのまま甲斐に土着して甲斐武田氏となった。

 武田氏館は、那珂川を見下ろす武田台地の突端部にあったと言われている。現在比定地付近に、往時の武士の館を模した「武田氏館」が復元整備されている。遺構は失われているが、武田氏の歴史などが簡単に展示されており、近くに来た時に寄ると良いだろう。それにしても、「濫行事件」の子細を記した文書が伝わっていないため詳細不明とされるが、「濫行」って一体何をやらかしたんだろうと、すごく気になる。尚、南に隣接する湫尾神社の参道前には、「甲斐武田氏発祥の地」の石碑が建っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.382199/140.517368/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:居館
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