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伊達政宗陣場(宮城県白石市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_6618.JPG←遺構の可能性がある土塁
 伊達政宗陣場は、関ヶ原合戦の前哨戦として行われた全国各地の一連の戦いの中で、いわゆる「白石城の戦い」の際に伊達政宗が本陣を置いた陣場である。豊臣秀吉の没後、天下の主導権を握った徳川家康は、家康に対抗する石田三成に同調して会津で戦備を整えていた上杉景勝を討伐するため、諸大名に命じて上杉討伐に向かった。その際に、上杉領を背後から脅かすため、岩出山城の伊達政宗に信夫口からの攻撃を命じた。政宗は上杉領刈田郡の要衝白石城攻撃の為、白石城を真南に見据える白石川北岸の段丘上に本陣を置いて、上杉氏家臣甘糟備後守清長が守る白石城を7月24日から攻撃を開始し、一昼夜で攻め落とした。

 伊達政宗陣場は、現在は福岡小学校の敷地となっている。「陣場」の地名が残っている。小学校下の南東に、戊辰戦争の奥州鎮撫軍総督府参謀であった世良修蔵の墓の入口があり、そこを登っていくと途中に「伊達政宗公陣場跡」の標柱と解説板が建っている。それによれば、西側の地続きに大土手(土塁)を築き、南の崖面に2、3段の平場(腰曲輪)を構えた陣場とされ、確かに学校敷地の西辺に土塁状のものが残っている(但し、現在のものが往時の遺構かどうかは不明)。南面の腰曲輪はよくわからなかったが、崖面を通る車道が腰曲輪だった可能性がある。一方、北側の車道の通っているところもいかにも堀切跡という趣で、往時の沢を天然の堀切としたか、或いは多少手を加えて堀切状に仕立てたものであろう。いずれにしても改変が進んでいるので、はっきりとした遺構は確認できないが、白石城を見据える絶好の陣場であったことは、現在でもよく分かる。
陣場から見た白石城→IMG_6624.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.011803/140.615366/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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