水海城(茨城県古河市) [古城めぐり(茨城)]
←城址付近の現況
水海城は、古河公方足利氏の重臣簗田氏の居城である。簗田氏の事績については関宿城の項に記載する。当初の水海城は「旧水海城」と呼ばれ、現在の利根川に接する水海南部地域にあったと推測されている。その後、簗田氏は小田原北条氏との抗争を繰り広げながら、奪われた関宿城を攻略して居城としていたが、結局1574年の第三次関宿合戦で北条氏の軍門に降り、関宿城を明け渡して旧水海城の北方に新たな水海城を築いて移住した。1590年の小田原の役の際には、浅野長吉の軍勢の前に開城降伏した。その後関東に徳川家康が入部すると、簗田氏は徳川氏に仕えたと言う。
水海城は、現在の水海小学校から神明神社にかけての微高地に築かれていたと考えられている。遺構は完全に湮滅しており、城の名残はほとんど見ることができない。城址推定地付近が僅かに周囲より高くなっているだけである。北条氏と堂々と渡り合った簗田氏の居城にしては、悲しい現実である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.142727/139.756479/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
水海城は、古河公方足利氏の重臣簗田氏の居城である。簗田氏の事績については関宿城の項に記載する。当初の水海城は「旧水海城」と呼ばれ、現在の利根川に接する水海南部地域にあったと推測されている。その後、簗田氏は小田原北条氏との抗争を繰り広げながら、奪われた関宿城を攻略して居城としていたが、結局1574年の第三次関宿合戦で北条氏の軍門に降り、関宿城を明け渡して旧水海城の北方に新たな水海城を築いて移住した。1590年の小田原の役の際には、浅野長吉の軍勢の前に開城降伏した。その後関東に徳川家康が入部すると、簗田氏は徳川氏に仕えたと言う。
水海城は、現在の水海小学校から神明神社にかけての微高地に築かれていたと考えられている。遺構は完全に湮滅しており、城の名残はほとんど見ることができない。城址推定地付近が僅かに周囲より高くなっているだけである。北条氏と堂々と渡り合った簗田氏の居城にしては、悲しい現実である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.142727/139.756479/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世平城
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