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時代錯誤の石碑を建てた日本学協会 [日記]

先日、馴馬城に行ったついでに、来迎寺に行って国重文の多宝塔を見、次いで春日顕国の石碑を見学しました。平成19年に建てられた真新しい碑でしたが、その背面に刻まれた碑文が恐ろしく時代錯誤なもので、一読して呆れ果てました。その碑文は次の通りです。

「常総龍ヶ崎に古城あり 馴馬城と称す 建武中興期に忠臣春日中将顕国公が拠りて尊王の御旗を翻し大義を唱えし処なり 城兵の義憤慷慨の忠勇は凛々として正気にあり 其の顕著な戦果は建武中興に極めて貢献す 時に馴馬城外に国宝来迎院多宝塔が聳え建つ 征夷大将春日顕国公一統の忠魂者御霊碑を納める供養塔なり 嗚呼 風景に古今の変ありと雖も公の盡忠報国の英魂は永久にこの地に留まる 粛然として敬仰の心を起し公の英風を顕彰す」

戦前の皇国史観というものを知らない人も多いと思うので、注釈をつけておきます。

・「建武中興」
後醍醐天皇の始めた建武の新政を、皇国史観では「中興」と称しています。「武家の暴政から朝廷が政権を取り戻し、正しい姿に戻した」ということで「中興」と称していますが、実態とかけ離れた「虚偽観念」の産物であることは明白です。実態は、現実を無視した後醍醐の理念先行の暴政によって、庶民・武家のみならず公家からも支持を得られず、武家の大きな支持を受けた足利尊氏によって失政を覆されるに至ったもの。ですので、全然「中興」していません。それどころかたった3年で政権の座から追われ、賀名生の山奥に埋没しています。そして結局、3代将軍足利義満にその命脈を絶たれました。それ故、このブログでは一貫して「建武の新政」と称しています。

・「忠臣」
南朝方が忠臣であるとすると、その反対の北朝方は即ち「逆臣・逆賊」となります。これも虚偽観念の産物と言う以外の何物でもありません。室町幕府を開いた足利尊氏が逆賊なら、源頼朝も徳川家康も逆賊なんでしょう。南朝は、武家を虐げ、公家一統を無理に進めようとした失政を行って支持を失ったんですが、皇国史観ではそうした事実を無視しているわけです。後醍醐にとっては忠臣かもしれませんが、当時の圧政に苦しんだ武家・民衆の大多数からすれば国賊ものでしょう。

・「尊王」
南北朝時代の尊王の実態は、朝廷を尊ぶというより、後醍醐天皇への個人崇拝の傾向が強いと思います。大体、後醍醐以前に皇統は、大覚寺統と持明院統に分裂していました。この対立を利用して持明院統を担ぎ出したのが尊氏。大覚寺統の後醍醐が失政で転落した以上、持明院統に皇統が移るのは、当時としては当然の成り行き。ちなみに現在の天皇陛下は持明院統(北朝)の後裔。南朝を戴くのを「尊王」と言うなら、北朝の流れを汲む現在の天皇は認められないはずなのですが。それこそが水戸学・皇国史観の最大の矛盾点。虚偽観念により実態を無視した結果、論理破綻しているのです。戦前の日本の歴史学なんて、そんな観念論がまかり通った低レベルのものだったのです。

・「嗚呼」
昭和恐慌の後、日本全体が大きく右傾化した昭和9年~13年ごろに全国に盛んに建てられた南朝顕彰の碑には必ずと言ってよいほど出てくるのが、この言葉。読む人に感動を強制しているんでしょうか。それとも単なる自己陶酔?いずれにしても「虚偽観念」が産んだ言葉の一つなんでしょうねぇ。

・「盡忠報国」
これまたよく戦前・戦中に盛んに喧伝されていましたね。皇国史観の常套句。意訳すると、要は国のためになら個人の事情や財産など差し置いて、全てを投げ出して奉公しろと。国への奉仕を強制する、個人の権利無視、基本的人権無視の思想です。アベ自民が理想としている国民の姿は、この盡忠報国に一身を捧げる愚昧な民衆です。

どうでしょう、この恐るべき時代錯誤の碑文。石田三成すら過去の事実を洗い直して再評価している、実証主義の歴史学が主柱となっているこの時代に、観念論で事実を全て捻じ曲げる皇国史観が全開の石碑とは!この石碑を建てたのが、「財団法人日本学協会 水戸支部」だそうです。調べてみたら、日本学協会の理事長、あの皇国史観の総元締めだった平泉澄の孫がやってるんですね。戦前暗黒社会の亡霊がまた見つかりました。

このドブネズミのように地下に隠れて生き延びている連中が、アベ自民を裏で操っているんです。日本会議、神社本庁、神道政治連盟などと同穴の醜い極右集団です。憲法改正を唱え、集団的自衛権の必要性を声高に行っている奴らの狙いは、日本を戦前の極右統制社会・軍事優先国家に戻すこと。そうなれば、伊勢派神道は昔の権益を取り戻すことができ、皇族から外された連中も皇族の地位に返り咲いて保護を受け、莫大な予算を取り戻すことができる。また国民の権利を制限して彼らの目指す国家主義の方針に沿って、国民を盲従させられます。アベ自民が主導するマスコミ弾圧・言論統制も、国民から正常な判断力を奪うための手段の一つです。

茨城県は、水戸学発祥の地であるためか、各地を歩いているとどうもこうした戦前回帰主義者が多いような気がします。高萩でお会いした小学校の老齢の先生も「右」でした。風光明媚な良い県だと思うんですがねぇ。
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