西小屋館(宮城県蔵王町) [古城めぐり(宮城)]
←土塁と堀跡
西小屋館は、江戸時代の文献によれば、志津戸信濃守の家臣村上左近という武士の居館と伝えられている。真偽不明であるが、いずれにしてもその遺構から考えれば、中世の国人領主の居館であったと考えられている。また北西1.6kmの丘陵上により要害性の高い兵糧楯(兵糧館)があり、それとの関連も指摘されている。
西小屋館は、周囲を丘陵に囲まれた小盆地の中央付近に位置する居館である。現在館跡は民家になっているが、民家の裏側に当たる西側から北側にかけて、土塁と堀跡が残っており、また南側と東側にも堀跡が一段低い水田となって残っている。平成4年に発掘調査が実施されており、五角形の土塁と堀で囲まれた城館で、更にその西側に区画溝のある外郭があって、家臣の屋敷跡と思われる建物跡も検出されている。
尚、西小屋館のある小盆地を囲む馬蹄形の周辺丘陵には、「~屋敷」という地名があちこちに見られ、西小屋館を中心にして居館群が形成されていた可能性もある。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.125881/140.689673/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
西小屋館は、江戸時代の文献によれば、志津戸信濃守の家臣村上左近という武士の居館と伝えられている。真偽不明であるが、いずれにしてもその遺構から考えれば、中世の国人領主の居館であったと考えられている。また北西1.6kmの丘陵上により要害性の高い兵糧楯(兵糧館)があり、それとの関連も指摘されている。
西小屋館は、周囲を丘陵に囲まれた小盆地の中央付近に位置する居館である。現在館跡は民家になっているが、民家の裏側に当たる西側から北側にかけて、土塁と堀跡が残っており、また南側と東側にも堀跡が一段低い水田となって残っている。平成4年に発掘調査が実施されており、五角形の土塁と堀で囲まれた城館で、更にその西側に区画溝のある外郭があって、家臣の屋敷跡と思われる建物跡も検出されている。
尚、西小屋館のある小盆地を囲む馬蹄形の周辺丘陵には、「~屋敷」という地名があちこちに見られ、西小屋館を中心にして居館群が形成されていた可能性もある。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.125881/140.689673/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:居館
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