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川崎城(宮城県川崎町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_8457.JPG←二ノ丸の土塁と堀切跡の林道
 川崎城は、前川城とも呼ばれ、また藩政時代には川崎要害と呼称され、伊達21要害の一である。この地を領していた中ノ内城(前川本城)主砂金実常が、新たな拠点として1608~10年にかけて築城した。実常は大阪夏の陣に従軍して25貫加増され、伊達家一族の家格に列せられた。以後、砂金氏4代約90年に渡る居城となったが、砂金重常が1702年に病没すると、無嗣断絶となった。同年、宮床伊達氏の当主伊達村興が川崎要害に入り、20年間居住したが、1722年に再び宮床に戻った。同年、伊達綱宗の孫村詮が2000石で川崎要害を与えられて城主となり、伊達一門に列して川崎伊達家を創始した。そのまま川崎伊達家の居城として幕末まで存続した。

 川崎城は、北川の南岸に東西に連なる、比高20m程の丘陵西端部に築かれている。かなり単純な縄張りの城で、東西2郭から成り、先端に当たる西側が本丸で城主の居館があり、東側が二ノ丸で家中屋敷を置いていた。現在本丸は公園となり、二ノ丸は川崎小学校の校地と畑に変貌しており、遺構は湮滅が進んでいる。各曲輪は以前は土塁で囲繞されており、本丸東側の土塁の内側には空堀もあったとされるが、本丸については土塁も空堀も現在では全くわからなくなってしまっている。一方、二ノ丸も改変が進んでいるものの、畑となった東半分は遺構が残存し、城域東端の堀切が林道となって残り、この林道沿いに二ノ丸東辺の土塁がよく残っている。わずかながらも遺構が残り、地勢も往時のままなので、城の雰囲気は感じられる。また城の南方の市街地を貫通する道路には、城下町特有の鉤の手も残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.179320/140.645385/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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