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反町楯(宮城県松島町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2922.JPG←垂直絶壁型の西堀切
 反町楯(反町館)は、館山楯とも呼ばれ、歴史不詳の城である。この地域は古来、竹城保と呼ばれ、鎌倉後期から室町初期までの約100年間、相馬氏の所領であったことが知られているが、反町楯との関係は不明。一方、松島有料道路(現・三陸自動車道)建設の際の部分的な発掘調査の結果では、出曲輪である西郭が15世紀後半に使用されていたことが判明している。

 反町楯は、観光地として有名な松島の北方の、標高82mの山稜上に築かれている。遺跡調査報告書の呼称に従うと、中央郭と呼ばれる城の中心部と、そこから周囲に派生する尾根上に築かれた物見の出曲輪である西郭と東郭(『日本城郭大系』では東郭ではなく南郭と南東郭と呼称される)で構成されている。城への登り道はなく、しかも東郭方面は尾根の途中を三陸道が貫通して分断しているので、西郭のある尾根北側の谷戸の廃止された浄水施設裏から登った。尾根も城内も藪がひどく、遺構の確認が非常に大変である。まず最初に到達した西郭は、背後に浅い堀切を穿ち、数段の平場群で構成された簡素な物見の出曲輪である。ここから東に尾根を辿っていくと、小ピークの後に西堀切があり、それを越えれば中央郭群である。中央郭は、大きく2段の曲輪に分かれ、南が城内最高所の主郭(A平場)、北に一段低く二ノ郭(B平場)が切岸だけで区画されている。二ノ郭は西だけでなく北側にも堀切が穿たれている。主郭はそこそこ広い平場で、主郭の南には数段の腰曲輪が築かれ、その先に切通し状の枡形虎口が構築されている。更にその下方には南の堀切が穿たれ、南堀切の先にも前衛の腰曲輪群が築かれている。また、これら前衛郭群の南西斜面の傾斜の緩いところに横堀の防御線が構築されているが、かなり埋もれているのか非常に浅くなっている。確認した遺構は以上であるが、この城の中央郭に穿たれた三方の堀切は、いずれも岩を垂直に削り切った、上総の山城でよく見た堀切と同タイプの垂直絶壁型で、宮城の城では珍しいタイプである。しかも西堀切では、よく見ると岩に木戸跡の様な人為的な窪みがあった。これも非常に珍しい遺構である。しかしそれにしても、全域に渡って藪がひどすぎて辟易した。その為、東郭は未踏査である。相当の装備と覚悟がなければ、お勧めできない城である。
西堀切の木戸跡?の窪み→IMG_3003.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.401562/141.061127/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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