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鱒渕城(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_4718.JPG←腰曲輪から見た主郭切岸
 鱒渕城は、葛西氏の家臣及川紀伊の居城であったと伝えられている。また別説では、鱒渕城主として岩渕氏の名が伝わっている。城主について不明点が多いのは、葛西氏時代のこの地域の多くの城と同じである。いずれにしても城主の事績は不明である一方、葛西大崎一揆で伊達勢に滅ぼされたことは論を俟たないであろう。

 鱒渕城は、二股川支流の小河川南岸に南から突き出た、比高30m程の細長い丘陵上に築かれた城である。小規模な城砦で、南北2郭と腰曲輪から構成された連郭式の縄張りとなっている。南北2郭の内、北側が主郭で、主郭内は何段かの段差に分かれ、北端が一番高く、神社が建てられている(但し参道は途絶)。主郭後部に1段の段曲輪があり、その先に土橋の架かった堀切を介して二ノ郭が続いている。二ノ郭南部は途中から採土で消滅してしまっている。主郭の東西斜面には綺麗に削平された腰曲輪が1段取り巻いており、西の腰曲輪先端には、竪堀状の虎口が築かれている。しかしその先は斜面が崩落してしまったのか、城道を追うことができない。全体に小規模で、技巧性もなく、あくまで有事の際の詰城と、南東の館ノ下集落(往時の根古屋であろう)を防衛する障壁としての位置付けだった様である。尚、主郭の後部に高圧鉄塔があり、そこへの保守道が西麓から伸びているので、それを使って訪城できる。
土橋の架かった堀切→IMG_4675.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.748394/141.328189/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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