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館宮坂城(栃木県益子町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_0492.JPG←Ⅲ郭外周の横堀
 館宮坂城は、館坂城とも言い、伝承では大沢和泉守が築城したと言う。伝承の真偽やその他の歴史は不明であるが、いずれにしても益子氏の重臣の城であったものだろう。尚、城の南西に鎮座している北中八幡宮の社伝では、「平安末期の治承年間(1177~80年)に益子城主益子因幡守之宗の子孫石岡三郎右衛門尉が平家征討から帰還した後、石清水八幡宮の御分霊を勧進して建立した」とされており、北中八幡宮が位置的に館宮坂城の裏鬼門に当たることから、この益子氏庶流の石岡氏の居城であったとも考えられる。

 館宮坂城は、国道123号線と芳賀広域農道が交差する北中交差点の北東にある、標高122m、比高30~40m程の丘陵地に築かれている。なだらかな丘陵地全体を城域に取り込んだ広大な城であるが、藪が多いせいもあって何となく掴み所がない。よく参考にさせていただいているアオさんのHP『北緯36度線付近の中世城郭』の呼称に従うと、丘陵南西端から北東に向かって順に、Ⅲ郭・Ⅰ郭・Ⅱ郭を連ね、東に張り出したⅣ郭、更にⅠ郭の南東斜面に広がったⅤ郭で構成されている。Ⅲ郭・Ⅰ郭・Ⅱ郭の西側外周は横堀で防御しているが、この外周横堀は浅く、ほとんど腰曲輪に近い感じである。Ⅲ郭・Ⅰ郭・Ⅱ郭はそれぞれ外周横堀に接続した堀切で区画されているが、これもかなり浅く、おかげで架かっている土橋が辛うじて分かる程度になってしまっている。またⅠ郭~Ⅲ郭の外周の切岸もわずか1m程しかない。一方で、東出曲輪と言うべきⅣ郭だけは、北・東。南の三面外周に土塁と横堀がしっかりと構築されており、他の曲輪より堀幅も広く、切岸の高さもあるが、それでも高さ2m程である。その他、Ⅴ郭はダラっと広がった緩斜面の腰曲輪で、外縁部に何段かに分かれた腰曲輪群を伴っている。現在畑になっている南斜面にも段が付いているので、ここも城域であったかもしれない。いずれにしても、ダラダラとした緩斜面に築かれた取りとめのない城と言う印象で、城域は広いが普請の規模がささやかでパッとしない。そのため、どこまでが城域であったのかも、明確ではない。
 尚、館宮坂城が築かれた丘陵は、そのまま北東にやや離れた円通寺裏まで伸びている。円通寺裏の丘陵上には前方後円墳があり、周りに周濠だけでない地形も見られることから、もしかしたら古墳を物見の外郭として利用していたかもしれない。
Ⅱ郭北側の堀切と土橋→IMG_0559.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.480949/140.099802/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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