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九石城(栃木県茂木町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_0904.JPG←大型の枡形虎口
 九石(さざらし)城は、1193年に那須与一宗隆の兄千本十郎為隆が築城したと伝えられている。為隆は、1190年に最初の居館を所草の山口の里(草の館)に構えたと言う。3年後の1193年、九石城を築いて新たな居城としたらしいが、4年後に千本城を築いて居城を移し、その後は戦国期まで千本城の支城となった。廃城時期は不明である。

 九石城は、千本城南東2kmの山あいの丘陵先端に築かれている。大きく4つの曲輪から構成されている。東側の台地基部から畑の中を西に進むと、目の前にいかにも城、という感じの切岸が現れる。その奥は主郭の腰曲輪で、右手の切岸の奥に枡形虎口が現れる。虎口を入ったところが二ノ郭で、南北に長い曲輪で南は前述の城道を監視し、北側は竪堀状の虎口があって腰曲輪に繋がっている。腰曲輪を東に進むと堀切があり、その北側に自然地形の北出曲輪がある。一方、前述の枡形虎口を二ノ郭に入ってからすぐに左(西)に進むと、そこが主郭である。主郭は広くきれいに削平された曲輪で、虎口脇に枡形跡と思われる土塁が残り、曲輪北辺には土塁が築かれている。この土塁は西端でL字状に折れている。主郭の外には一段低く腰曲輪が取り巻いており、西側の腰曲輪では土塁が築かれて横堀状となっている。西側腰曲輪の北端は竪堀状の虎口となっている。また南端にも内枡形があって、南出曲輪に繋がっている。南出曲輪は上下2段と東側方の腰曲輪で構成されている。

 以上が九石城の遺構であるが、もう一つ北出城とも言うべき城郭遺構が存在する。北出城は、九石城本城の北東300m弱に位置にある。畑になっている頂部の広い主郭と、藪に覆われた東斜面の数段の腰曲輪群で構成されている。主郭北辺には土塁が築かれ、その北側には横堀が穿たれている。遺構としてはこの程度の、簡素な構造の出城である。

 九石城(本城)は、大型の枡形虎口を備えた近世城郭的な構造であり、豊臣秀吉の宇都宮仕置で主家那須氏が改易になった後も、大身旗本として存続した千本氏によって改修され存続していた可能性もある。
横堀状の西側腰曲輪→IMG_0973.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【本城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.564530/140.165505/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

    【北出城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.566323/140.167909/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


栃木県の中世城館跡 (1982年)

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  • 作者: 栃木県教育委員会
  • 出版社/メーカー: 栃木県教育委員会
  • 発売日: 1982/03
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