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赤埴城(栃木県市貝町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_1082.JPG←主郭の土塁と土橋
 赤埴城は、益子氏の一族、赤埴氏の城と言われている。城の歴史は明確ではないが、1570年に赤埴右京之進宗勝が築城し、周防守宗重がその後を継いで居城としたとの説がある。

 赤埴城は、小河川に挟まれた低台地に築かれた平城である。耕地化などでかなり湮滅が進んでいるものの、残存している部分だけ見ても、市貝町付近の平地に築かれた平城としては屈指の規模を有している。主郭の主要部は消滅したが、前面(南側)の土塁・空堀が良好に残っている。土塁は3mほどの高さで鋭い切岸でそびえており、中央に土橋を架けた虎口が築かれている。主郭の南側はおそらくニノ郭の一部と思われるが、南東部の土塁と空堀が残存し、東側には虎口と土橋が残っている。この他、西にやや離れて南北に長い土塁の一部が確認できるが、改変されている様だ。残っているのはこれだけなので、現状からでは往時の縄張りを推測するのは難しいが、昭和20年代前半の航空写真を見ると、外郭まで含めて非常によく遺構が残っていた事がわかる。主郭は北西部に出隅を持っていたようで、主郭全周を囲むように二ノ郭があったらしい。二ノ郭は現在残っている堀形状から考えても、空堀で何ブロックかに区画されていた可能性がある。二ノ郭の北辺部には横矢掛かりの折れを持った土塁と空堀が、はっきり航空写真に写っている。これらの特徴を考えると、戦国期まで使用された城だと考えられる。この他、西側に外郭があった様に見受けられるが、北辺部しか輪郭らしいものを確認できない。このような感じで、現在残る土塁や空堀の規模から考えると、往時はさぞかし壮観だったろうと惜しまれる。湮滅は正に勿体無いの一言に尽きる。
 またこれほどの遺構であるのに、解説板はおろか城址標柱さえ無いのもどうかと思う。どうも栃木県内の市・町は、他県と比べて史跡整備に消極的で、どうにかならないものかと一県民として疑問に思う。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.514810/140.066435/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平城
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