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村上城(栃木県市貝町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_1186.JPG←土塁で囲まれた主郭
 村上城は、益子氏の一族村上氏の居城である。古文書によれば、1187年に平宗清の守る村上城が落ちたとあることから、 築城時期は平安時代末頃と思われる。その後、1378年に益子正宗の次男村上新助良藤によって、現在の遺構のような城が築かれ、以後、丹波守則光・丹波守光義と3代約50年にわたり居城したと伝えられている。しかし現在残る遺構や、『水谷蟠龍記』にある1583年の高塩合戦(益子氏と山本城主高塩氏の戦い)において、村上丹波・子息弥六左衛門の名が見えることから、戦国後期まで城は存続していたと推測される。位置的には益子氏の支配領域の北端にあり、千本城主千本氏に対する備えを固めていたと考えられる。

 村上城は、標高172.1mの観音山に築かれている。西麓を流れる桜川を天然の外堀としていたと考えられる。県指定史跡であり、主郭部は公園化されて梅林となっているが、外周の曲輪は草茫々である。しかし主要部の遺構はよく確認できる。主郭を中心に、大きく三重の堀で囲んだ環郭式の城である。主郭は傾斜面に築かれた曲輪で、3段程の平場に分かれている。外周は土塁で囲まれ、北端部は三角点のある櫓台が築かれ、土塁の外側には空堀が全周している。この一ノ堀は、外側の二ノ郭側にも土塁を築いている。この外周土塁には茨が繁茂しており、非常に歩きにくい。主郭南西部は横矢の屈曲が見られ、これによって主郭南端は出枡形形状の虎口となっている。二ノ郭は、主郭の北から東面にかけて広がっており、空堀で囲まれているが、二ノ堀は雑草でわかりにくい。この二ノ堀は、西端部で直角に曲がって竪堀となって三ノ堀に落ちている。二ノ堀の外側は三ノ郭であるが、曲輪内の傾斜が大きく、外堀(三ノ堀)沿いのみ帯曲輪状の平場がある。三ノ堀は、綺麗に整備されており、全周を散策できる。三ノ堀の規模はさほど大きいものではないが、北西部に横矢張出しの櫓台が築かれて防御を固めている。
 村上城は、遺構が完存しており、非常に素晴らしい。春の主郭は、まだ梅の花が咲き残っており、美しかった。
三ノ堀→IMG_1274.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.557429/140.119028/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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