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塩貝城(京都府南丹市) [古城めぐり(京都)]

IMG_2463.JPG←前面堀切から落ちる二重竪堀
 塩貝城は、大戸城とも呼ばれ、この地の国人領主塩貝将監の居城である。塩貝氏については、晴政・晴道父子の名が知られ、いずれも将監を称した。晴道は、八上城主波多野秀治に忠節を尽くし、1579年に明智光秀に塩貝城を攻め落とされたと言う。

 塩貝城は、標高310m、比高120mの山上に築かれている。北西麓から登り道が整備されており、所々に表示があるのでわかりやすい。標高280mの尾根まで辿り着くと、出曲輪である鍛冶屋敷と、本城との分岐点に至る。鍛冶屋敷は低土塁で囲まれた単郭の出城で、北側に張り出しを設け、東側に形の整った枡形虎口を築いている。鍛冶屋敷と本城の間の尾根中間部には、土橋の架かった堀切が1本穿たれている。本城は、前面に2本の堀切を段状に築いており、内側の堀切は側方に竪堀が長く落ち、特に西側では二重竪堀に分岐して落としている。東側は更に数本の竪堀を落として畝状竪堀としている。従って、本城前面の防御線はかなり重厚である。本城は頂部の主郭とその手前の二ノ郭を主体とし、更に西側に数段の腰曲輪を築いている。最下段の腰曲輪は、北端に縦土塁を築き、そこから前述の二重竪堀に対して横矢を掛けている。またこの腰曲輪の南端は竪堀で遮断している。二ノ郭は東側斜面に畝状竪堀が穿たれているため、塁線も竪堀で削られ、ウネウネしている。主郭は綺麗に削平されているが土塁は築かれていない。背後には堀切が穿たれているが、この堀切は整形が甘く、前面の普請に注力した結果、力尽きた様な感じである。南東の尾根をやや降ったところにも堀切が穿たれて、城域が終わっている。いかにも地方の小土豪の城という感じの小城砦であるが、前面防御に集中した一点豪華主義の城である。
鍛冶屋敷の枡形虎口→IMG_2375.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.187883/135.473614/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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