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新庄城(京都府南丹市) [古城めぐり(京都)]

IMG_2652.JPG←尾根鞍部の堀切
 新庄城は、丹波小守護代として船井郡を領した井上氏の居城である。歴代の城主は、文明年間(1469~86年)以降、井上雅楽助・井上孫五郎・井上又六と続いた様で、丹波守護細川政元の奉行人波多野秀久の奉書や守護代上原元秀の遵行状を井上氏に発出している。また『丹波志』によれば、戦国後期には井上氏は没落していたが、井上治部少輔は明智光秀に仕えて丹波平定の先鋒となり、古邑を回復したと言う。

 新庄城は、標高230m、比高110mの城山に築かれている。城山は南北2峰あり、北の峰に本城、南の峰に出城を置いている。現在はほとんど人が入らない山らしく、城内は全体に藪が多い。また東の谷戸からの登城路があるが、倒木が多く一部では道が消失しており、結局斜面直登になる可能性が高い。私はこの道を知らなかったため、本城南東の尾根を直登した。
 本城は、主郭の周囲に腰曲輪を廻らし、北と南に数段の段曲輪、東尾根に2段の舌状曲輪を配置している。この舌状曲輪(上段)の付け根は一段低い鞍部の曲輪となっており、南側に虎口が付いていて、前述の登城路と繋がっている。この虎口を防衛するように、舌状曲輪後部に土塁・物見台が築かれている。下段の舌状曲輪の先端には土塁が築かれ、その側方に虎口が築かれている。舌状曲輪から下方にやや離れた南東尾根にも、明確に削平された曲輪が築かれている。一方、前述の鞍部の曲輪から主郭の北側に向かって明確な城道が残っている。主郭は三角形状の曲輪で角部に土塁を築いている。主郭内は藪が少なく、20年以上前の小学生が作った城址解説板が残っている。主郭から南尾根を辿ると、段曲輪の先の鞍部に二重堀切が穿たれている。内堀の外側には土塁も築かれている。これらによって出城との分断を図っている。
 南の出城も基本的な構造は本城と同じで、頂部の主郭の周りに腰曲輪を廻らし、更に北尾根に段曲輪を築いている。こちらも主郭へ至る城道が、段曲輪側方に明確に残っている。『図解 近畿の城郭Ⅰ』によれば、この出城の周囲の斜面には畝状竪堀が穿たれているとされているが、かなり小さい竪堀のため、遺構かどうかはかなり微妙な感じである。
 以上が新庄城の遺構で、頑張って藪漕ぎをした割にはあまりパッとしない城だったのは残念である。
舌状曲輪後部の物見台→IMG_2589.JPG
IMG_2677.JPG←出城の畝状竪堀?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.103646/135.518911/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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