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長者山城(茨城県水戸市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_3081.JPG←主郭空堀の屈曲部
 長者山城は、歴史不詳の城である。ここには「長者伝説」がある。昔、一盛長者という富豪が居て、後三年の役の際に10万の兵を率いて奥州に向かった源義家は、この地で長者から豪勢なもてなしを受けた。奥州平定後、再びこの地で前に劣らぬ接待を受けた義家は、このような富豪は後日の煩いになると考え、急襲して長者を滅ぼした、というものである。一盛長者は、源頼信の5男、常葉五郎義政のことであったと言う。一方、時代が下って戦国後期の天正年間(1573~92年)には、この屋敷に春秋駿河守や小曾沼権之助などと言う武士が住んでいたとも言われるが、確証はない。

 長者山城は、田野川南岸にそびえる比高30m程の河岸段丘辺縁部に築かれた城である。その選地は、前小屋城石塚城と共通しており、縄張りにも類似性が見られる。北から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭を連ねた連郭式で、現在は宅地化・耕地化で改変されているが、一部の遺構が良く残っている。主郭の周囲には土塁と空堀が残り、南中央には土橋が架かり、空堀は南東部では横矢掛かりのクランクを設けている。空堀の東端は、主郭・二ノ郭東側の斜面に構築された横堀に接続している。この横堀は、主郭空堀との合流点東側に竪堀状の虎口を設け、側方には櫓台を築いている。二ノ郭・三ノ郭はかなり改変され、西側半分は近年ソーラー発電所になってしまっているが、二ノ郭北辺の土塁は健在で、西側の土塁も部分的に残存している。外周の空堀は残念ながら埋められてしまっている。三ノ郭は、入口に「一盛長者伝説地」の石碑が建っている以外は湮滅が進み、二ノ郭との間の空堀も既にわからなくなっているが、南東角部から東面にかけて、車道脇に腰曲輪と横堀が残っている。この車道も往時の空堀跡であろう。前述の通り、佐竹一族の城との類似性が見られる一方、この付近は江戸氏の勢力圏であったと考えられるので、今後の考究が望まれる。
主郭東斜面の横堀→IMG_3126.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.412243/140.433555/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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