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粟生城(茨城県鹿嶋市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_3817.JPG←粟生城跡に建つ平光寺
 粟生城は、大掾氏の一族、鹿島氏の庶流粟生氏の居城である。元々は、平安末期に豊浦左近少輔光実が築いたと言われ、当初は花山城と呼ばれていた。その後、鹿島宗幹の次男幹実がこの地に入部して粟生氏を称し、花山城を改修して居城とし、鹿島城南東の防備に当たった。更に粟生城の出城として、石神城に一族の石神八郎憲幹を分知して備えを強固にしていたが、1558年に粟生・石神両氏の間で争いが起き、両氏とも滅亡して粟生城は廃城になったと言う。

 粟生城は、3郭から成っていたと言い、土塁で区画されて西を御城、東を内御城、北を外城と呼んでいたと伝えられている。鹿島臨海工業地帯に程近い丘陵南端に築かれていたが、工業地帯造成のために早くに採土で破壊されていたらしい。既に戦後間もなくの航空写真を見ても、城の中心部であったと思われる丘陵上は、平らで草木のない台地になってしまっている。現在は更に採土が進んでしまっており、壊滅的な状況である。それでも以前は、西側に堀切状の切れ目(谷戸)があって、唯一明確に残る遺構であったらしいが、私が訪城した時にはここにも重機が入って破壊が始まっていた。数年後には全てなくなるだろう。ここより北の平光寺付近には土塁らしき土盛りがあり、八幡神社北の切り通し状の車道は堀切の跡であるらしい。いずれにしても寺以外ほとんど壊滅的な、残念な城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.945736/140.655835/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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