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古屋城(茨城県行方市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_4257.JPG←周囲の空堀
 古屋城は、伝承では行方忠幹の居館であったと言われている。忠幹は大掾氏の庶流行方氏の初代で、大掾繁幹の子吉田清幹の次男として生まれ、行方の地に入って居城を築き、行方平四郎を称したとされる。その子宗幹は、嫡男為幹と共に源氏に味方して屋島の戦いに従軍し、討死した。宗幹の4人の子は遺領を分与されて、小高氏・島崎氏・麻生氏・玉造氏と言う、所謂「行方四頭」となった。ところで、行方氏の居城としては、古屋城から北に1.1kmの位置にある行方城が知られており、規模的に古屋城は大掾氏一族の居城としては小さすぎることから、忠幹の別宅か何かであったものであろうか。一方、古屋城の大手に当たる西側に隣接して曹源寺があり、曹源寺の開基は船子城主下川辺義親(行方下川辺氏と称される)で、その供養塔も境内に残っていることから、古屋城は下川辺氏が関連した城館であった可能性もある。

 古屋城は、谷戸に面した比高20m程の段丘突出部に築かれている。単郭の小規模な城館であるが、周囲を取り巻く土塁と空堀の規模が大きく(土塁は高さ5m程、空堀は深さ10m程もある)、長径でも100m程の曲輪の規模と比べると、異様に大規模な普請が行われている。しかし内部は民家であり、堀は藪が繁茂してよく見ることができない。残念ながら入口付近のみ確認して探索を終了した。城歩きの大家余湖さんの鳥瞰図によれば、大手虎口側方には張出し櫓台もあるようだが、藪でよくわからなかった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.043001/140.464389/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平城
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