高崎城(茨城県つくば市) [古城めぐり(茨城)]
←城址遠望。住宅団地が城跡
高崎城は、牛久城主岡見氏の支城である。『日本城郭大系』によれば、小張城主只越善久が築城したとされるが、詳細は不明。城址の北方800m程の所に岡見氏の一族岡見五郎兵衛が配送の後に自刃したと言われる場所があり、墓塔が建っていることから、岡見氏に深く関わっていた城であろうことは想像に難くない。
高崎城は、その名も「城山」と言う地名の残る住宅団地にあった。現在は城内はほぼ全て住宅地となっており、遺構は完全に湮滅している。昭和20年代の航空写真を見ると、南に伸びた舌状台地の中程に南北2本の空堀で囲まれた曲輪がはっきりと確認でき、ここが主郭であったと思われる。周囲を低湿地帯で囲まれた低台地で、その輪郭は現在の住宅団地の輪郭にほぼ一致している。北に行くに従って高くなっている地勢で、北端の外郭に当たる部分は現在畑となっており、その北辺に土塁っぽいものが遠目に見えるが、畑のため進入不能で確認できなかった。尚、城域の北東部の市道脇に大手門跡の標柱が建っている。その南に土塁状の土盛が続いているが、遺構かどうかは不明である。標柱だけでなく、解説板も建ててくれるとありがたいのであるが・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.990690/140.121989/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
高崎城は、牛久城主岡見氏の支城である。『日本城郭大系』によれば、小張城主只越善久が築城したとされるが、詳細は不明。城址の北方800m程の所に岡見氏の一族岡見五郎兵衛が配送の後に自刃したと言われる場所があり、墓塔が建っていることから、岡見氏に深く関わっていた城であろうことは想像に難くない。
高崎城は、その名も「城山」と言う地名の残る住宅団地にあった。現在は城内はほぼ全て住宅地となっており、遺構は完全に湮滅している。昭和20年代の航空写真を見ると、南に伸びた舌状台地の中程に南北2本の空堀で囲まれた曲輪がはっきりと確認でき、ここが主郭であったと思われる。周囲を低湿地帯で囲まれた低台地で、その輪郭は現在の住宅団地の輪郭にほぼ一致している。北に行くに従って高くなっている地勢で、北端の外郭に当たる部分は現在畑となっており、その北辺に土塁っぽいものが遠目に見えるが、畑のため進入不能で確認できなかった。尚、城域の北東部の市道脇に大手門跡の標柱が建っている。その南に土塁状の土盛が続いているが、遺構かどうかは不明である。標柱だけでなく、解説板も建ててくれるとありがたいのであるが・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.990690/140.121989/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平城
2017-12-25 02:00
nice!(6)
コメント(0)
コメント 0