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古渡城(茨城県稲敷市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_8095.JPG←本丸北西隅の土塁跡、周囲は堀跡
 古渡城は、織田信長の重臣として知られた丹羽氏の江戸時代の居城であった。元々は、徳川家康の家臣山岡景友が築いた。山岡氏は、元は近江守護六角氏の家臣で、その後将軍足利義昭、織田信長、豊臣秀吉に仕え、秀吉死後は徳川家康に属した。1600年、関ヶ原合戦での戦功により常陸国古渡1万石の大名に封じられ、古渡城を築いて居城とした。1603年、丹羽長重が新たに古渡1万石に入り、古渡城を居城とした。長重は丹羽長秀の嫡男で、父の死後も引き続き豊臣秀吉に従った。しかし秀吉による丹羽氏勢力削減策によって越前・若狭・加賀2郡合わせて123万石の大封を没収され、加賀松任城4万石に大減封となった。後に小田原の役の軍功により加賀小松城12万石を領した。関ヶ原合戦では、西軍に付いて前田利長と浅井畷で戦い、戦後に所領没収となった。江戸芝浜に閑居していたが、前述の通り1603年に古渡1万石の大名に返り咲いた。後に2代将軍徳川秀忠に近侍した結果、加増転封が繰り返され、陸奥棚倉5万石、陸奥白河10万石へと移った。古渡城は、丹羽氏が転封となった際に廃城となった。

 古渡城は、霞ヶ浦湖畔の平地に築かれている。現在は宅地化・耕地化が進んでいるため、城の全体像はよくわからないが、本丸の部分だけが周囲より1m程高い微高地となって残っている。遺構はかなり部分的で、方形郭であった本丸の土塁の一部が残っている程度である。その周りの低地や道路は堀跡であろう。その周囲には二ノ丸などがあったのであろうが、昭和20年代の航空写真でも既に外郭の形状が追えなくなっている。解説板が建っているだけマシであろうか。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.976886/140.352144/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:近世平城
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