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夏見城(千葉県船橋市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_8326.JPG←寺背後に残る土塁囲郭
 夏見城は、この地の在地領主夏見氏の居城である。『長福寺縁起』によれば、城主夏見加賀守政芳は、1564年に不意に敵の攻撃を受けて落城、討死したと伝えられている。尚、夏見氏についてはこの伝承の他に、長福寺の木造聖観世音菩薩の胎内銘に、1536年12月24日付で「夏見豊嶋勘解由左衛門尉平朝臣胤定」なる者が旦那となって造立したことが記されており、船橋市内の城館の中で唯一城主又はその近縁者の名が一次史料によって判明していると言う。この夏見豊嶋勘解由左衛門尉は、「豊嶋」の名乗りにもある様に、長尾景春の乱で太田道灌に滅ぼされた武蔵の名族豊島氏の一族が、この地に逃れ来たったものではないかとの説がある。

 夏見城は、海老川西岸の段丘辺縁部に築かれている。急峻な崖で囲まれた地勢で、主郭は現在、長福寺の境内となっている。寺背後の高台(墓地の東側)に土塁で囲まれた曲輪があるが、主殿を建てるほどの広さはないので、寺境内を主郭とし、高台を詰丸としていたと思われる。寺周辺は市街化しているため往時の縄張りはよくわからないが、戦後の航空写真を見ると寺周囲の円弧状の車道に沿って並んでいる宅地部は、広い堀跡であったらしい。その周りには二ノ郭があったと推測されるが、戦後でも既にその形状はわからなくなっている。尚、詰丸北東部の土塁の上には妙見尊が祀られた「雪解塚」があるが、ここには往時井戸があり、戦いで討死した城兵の遺骸を埋めたとも、城の女中らが身を投げたとも言われ、雪が積もらなかったことからその名が付いたと言う。歴史不詳ながら、しっかりした土塁が残っており貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.712293/139.997599/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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