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吉野城(宮城県角田市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_9201.JPG←微高地となった主郭跡
 吉野城は、吉野五良という者の城と言われている。現地解説板によれば、吉野五良とは後醍醐天皇の皇子義良親王(後の後村上天皇)のことで、1336年に伊久(伊具?)の国官府として吉野城を築いたとされる。そして、吉野五良の姫が病没後、その霊を祀るために阿弥陀堂を建立したと言う。阿弥陀堂は吉野城址の北西に現存し、前述の解説板はその堂宇の脇に立っている。しかしこれは随分おかしな伝承で、義良親王は後に吉野で父帝の後を継いで後村上天皇となっているし、陸奥国司・鎮守府将軍北畠顕家に奉じられて奥州に下向した先は多賀城であり、その時はまだ7~8歳の幼少であり、もしここに居たことがあったとしても姫など出生できる年齢ではない。おそらく「吉野」と言う名から連想した、随分無理のある仮託であろう。

 吉野城は、阿武隈川西岸の平地に築かれている。現在確認できるのは主郭跡の方形の区画で、民家と畑になっているので旧状をかなり失っていると思われるが、周囲よりこの区画だけわずかな微高地となっているのがわかる。また東側には堀跡らしい溝状地形が確認できる。解説板によれば、往時は内濠・外濠があり、東を搦手・西を西木戸・南を朱雀の木戸・北を松枝屋敷と言っていたらしい。外郭は回字状に主郭の周りを取り巻いていたと推測されているが、改変が激しく、ごく一部に土塁跡らしき土盛を残すほかは、既に塁線を追うことすら困難である。吉野城は、既に往時の姿は見る影もないが、南東角に建つ城址碑と前述の阿弥陀堂だけが歴史を伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.995089/140.802777/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平城
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