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御館(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_9498.JPG←辺縁部の土塁らしき土盛
 御館は、伊達氏の重臣大内氏の江戸中期以後の居館である。大内氏は小浜城を居城とした戦国大名で、戦国末期の当主大内定綱は、当初は伊達政宗に抗したが後に臣従し、摺上原の戦い等で軍功を挙げて重臣の列に連なった。豊臣秀吉の命で政宗が岩出山に移封となると、定綱は前沢城主に封じられた。その子重綱は、1644年に西郡(現在の錦織)に移封となり、西郡古館に居住して城下町を整備した。以後幕末まで大内氏は西郡の領主であったが、1740年に新たに御館を築いて居所を移した。そのまま幕末まで存続した。

 御館は、錦織集落の東に張り出した比高20m程の舌状台地先端部に築かれている。現在は錦織小学校の校地となっており、改変されている。しかしよく見ると、校庭の辺縁部に土塁状の土盛が見られ、その外側には腰曲輪状の平場も確認できるので、おそらく遺構ではないかと思われる。また校庭の南西端部は一段低くなっており、小道が通っており、城門跡か何からしい。また南西麓から登る車道はおそらく往時の大手道で、この坂道を人々は御表坂と呼び、館を御館館山と呼んだと言う。御館は、あまり遺構がはっきりしないが、往時の雰囲気は感じられる。尚、御館の南の丘陵中腹に大内家代々の御霊屋がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.729489/141.273794/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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