鈴鹿城(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]
←台地上の主郭
鈴鹿城は、岩切館とも呼ばれ、歴史不詳の城である。伝承では、坂上田村麻呂の御台所鈴鹿御前の居館であったと言うが、定かではない。
鈴鹿城は、大嶽山北東の低台地に築かれている。主郭と思われる部分は、台地上の一段高い方形の区画となっているが、現在は畑となっているらしい。周囲の二ノ郭と思われる平場も畑となっている。明らかに民有地の畑のため、縁の方から遠望しただけである。台地の南麓には民家があり、その門前右手に城址標柱が建っている。この民家には長屋門が建っているが、そのさまがまるで城門の様である。南に一直線に道があり、往時の大手道かもしれないので、実際に城門が建っていたのかもしれない。それにしても坂上田村麻呂の御台所の居館とは、伝説にしてもすごい誇張である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.657734/141.188865/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
鈴鹿城は、岩切館とも呼ばれ、歴史不詳の城である。伝承では、坂上田村麻呂の御台所鈴鹿御前の居館であったと言うが、定かではない。
鈴鹿城は、大嶽山北東の低台地に築かれている。主郭と思われる部分は、台地上の一段高い方形の区画となっているが、現在は畑となっているらしい。周囲の二ノ郭と思われる平場も畑となっている。明らかに民有地の畑のため、縁の方から遠望しただけである。台地の南麓には民家があり、その門前右手に城址標柱が建っている。この民家には長屋門が建っているが、そのさまがまるで城門の様である。南に一直線に道があり、往時の大手道かもしれないので、実際に城門が建っていたのかもしれない。それにしても坂上田村麻呂の御台所の居館とは、伝説にしてもすごい誇張である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.657734/141.188865/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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