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楼台城(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2184.JPG←主郭群の段状腰曲輪群
 楼台城は、葛西氏の家臣伊藤豊後守の居城と伝えられている。伊藤氏は、永正年間(1504~21年)の葛西氏と山内首藤氏の抗争(永正合戦)の際、山内首藤方に与した為、石巻城主葛西宗清の軍勢に攻め滅ぼされたらしい。その後は、青梅尾張守が楼台城に入ったと言う。

 楼台城は、標高80m程の山に築かれている。山頂から北西に伸びる斜面上に段状に曲輪群を展開した縄張りで、北西から順に三ノ郭群・主郭群・ニノ郭群と並び、いずれも多数の腰曲輪群を伴っている。特に畑地となって開けた主郭群は、多数の段状の腰曲輪群が見事な姿を現している。城内に堀切はなく、三ノ郭と主郭群はなだらかな地形で繋がり、主郭と二ノ郭は、主郭背後が数mの切岸で区画されているほかは鞍部の曲輪で繋がっているだけである。ニノ郭群の背後にもやはり後衛の腰曲輪群があり、一部に登城道となっている坂土橋(土塁道)が確認できる。また三ノ郭は畑地となり、先端には土塁と虎口が確認でき、その下に数段の腰曲輪が築かれている。城内に残る道は、往時も城道として使われていたものと考えられ、明瞭に残っている。多段式の曲輪群が美しい城である。
主郭前面の段状腰曲輪群→IMG_2174.JPG
IMG_2198.JPG←三ノ郭先端の虎口
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.687453/141.301925/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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