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月輪楯(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2227.JPG←主郭周囲の空堀
 月輪楯(月輪館)は、伝承によれば葛西氏の支族月輪六郎・七郎(一説に五郎・六郎)兄弟の居城であったと言う。月輪氏は、迫の城主三位中将藤原師門の家臣で6万石を領し、天正年間(1573~92年)に眺望絶景・難攻不落のこの地に築城したとされる。戦国後期の迫合戦の際に、敗北した師門を庇って兄弟揃って討死したと伝えられる。しかし藤原師門と言う人物は実在が証明されておらず、迫合戦なるものも史実として確認できていないので、伝承の真偽には検討の余地が多い。但し、月輪氏という一族は実在したと思われ、月輪館の東門だったと伝えられるものが香林寺の山門として残っており、そこには月輪氏の家紋二ツ葉柏紋の彫刻が付けられている。尚、香林寺の近くにも月輪館とされる平地の城館跡があり(遺構は湮滅)、月輪楯と全く同じ伝承が伝わっていて、月輪楯とどのような関係だったのか、興味深いところである。

 月輪楯は、北上川の西岸にそびえる玉山の北の尾根上の、標高100m程の高地に築かれている。二重の空堀で外周を囲まれた不定形な長円形の城砦で、まるでチャシの様である。実際、古代のチャシだったものを改修・転用した可能性も指摘されている。西側を走る車道脇に立て看板と解説板が立ち、そのすぐ奥に遺構があるのでアクセスは簡単だが、城内は酷い藪に埋もれていて、遺構の確認は容易ではない。主郭内は基本的に平坦であるが、外周部に土塁が見られ、郭内には段差もあって何らかの区画があったらしい。主郭周囲の空堀は割りと規模が大きめだが、その外側を囲む二ノ郭外周の空堀は規模が小さい。いずれにしても物凄いガサ藪で、辛うじて空堀であることが分かる程度である。市の指定史跡であり、山麓の車道入口からの誘導表示もしっかりしているのに、かなり残念な状況である。
 尚、宮城県遺跡地図では、月輪楯の位置を玉山山頂付近としているが、位置が間違っていることを付記しておく。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.682914/141.282034/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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