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新庄楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_2362.JPG←主郭塁線の張り出し
 新庄楯(新庄館)は、歴史不詳の城である。江戸後期に編纂された『高清水拾遺志』によれば、鎌倉~南北朝期に新庄伊賀守が築城し、その後大崎詮持の子高泉出羽守持家が1356年に東館(高清水城)を築くまで居城したと言う。その後長い間城主不在であったが、天正年間(1573~92年)に高清水直堅がこの城を改修して居住したとされる。しかし『高清水拾遺志』は記述自体に錯誤が多くそのまま信ずるできないとされる。

 新庄楯は、標高49.5mの丘陵上に築かれている。この丘陵は、城のすぐ脇を東北新幹線が貫通しているので、城も一部が破壊されたと思っていたが、幸いなことに遺構の破壊はほぼ免れている。南に傾斜した斜面に東西に長い主郭群が築かれ、内部は3段に分かれている。北の平場が最も高く、土塁で西・北・東の三方を囲んでいる。北西の土塁の隅部に地形図にある三角点が設置されている。土塁の外周は空堀が穿たれているが、西面のものはかなり浅くなっている。北面のやや東寄りには土橋が架かっており、搦手虎口が築かれている。空堀の外周も土塁が築かれており、北西部に櫓台の様な土壇が見られる。主郭群の南にも更に2~3段の腰曲輪が築かれ、主郭群塁線から一部横矢が掛けられている。主郭群の東は、前述の空堀と合わせて二重堀切で分断され、その東に二ノ郭があるが、削平が甘い平場である。二ノ郭南には一部に土塁があり、南東下部には枡形虎口の様な空間がある。二ノ郭東側は切岸は明瞭だが、堀切はかなり浅く、ほとんど分断効果を持っていない。新庄館は、一部に横矢掛かりが見られるものの、基本的には直線的な空堀・堀切で構築されており、戦国期以前の古い形態を残した城と考えられる。
主郭外周の空堀→IMG_2420.JPG
IMG_2462.JPG←主郭東側の二重堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.661219/141.020615/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世平山城
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