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若森城(茨城県つくば市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_4641.JPG←主郭外周の土塁
 若森城は、下妻城主多賀谷氏が築いた城である。元亀年間(1570~73年)に多賀谷政経が築城し、その家臣白井対馬守を城主としたと言われる。以後、小田城攻略の前進拠点として機能した。佐竹氏が小田城を攻略した後の若森城の動向は不明である。江戸時代になると、徳川家旗本の堀田氏がこの地に若森陣屋を置いたが、幕末の1863年に撤去された。明治時代に入ると、1869年(明治2年)に若森県庁が陣屋跡に置かれた。しかし、設立からわずか2年9ヶ月で若森県は新治県と茨城県に統合され消滅した。

 若森城は、桜川西岸に南から突き出た舌状台地の上に築かれている。史跡としては、「若森県庁跡」として市指定史跡となっているが、遺構を見る限り中世城郭そのものである。北端に主郭を置き、その南に二ノ郭が置かれている。二ノ郭は民家があって無断進入はできないので、北端の斜面から登って主郭周りだけ見て回った。主郭は斜面に面した外周に低土塁を築き、北西斜面と東斜面に腰曲輪を築いている。特に東腰曲輪には土塁が外周に築かれ、その下方には横堀が穿たれている。主郭と二ノ郭の間は、西半分は土塁で仕切られ、東半分は幅の広い堀切で分断されている。仕切り土塁と堀切の間は幅広の通路となっている。堀切の東側には土橋が架かって主郭南東部と二ノ郭北東部を繋いでいる。土橋の東側にも堀切が続き、円弧状に北に伸びている。その先は前述の東斜面の横堀に繋がっているが、ここにも土橋が掛けられ、主郭東の腰曲輪と二ノ郭東の腰曲輪を連結している。また横堀は、この土橋部分で東に屈曲して東山腹に伸びており、そこでは湧水があるらしく水堀となっている。二ノ郭の周りにも土塁が築かれ、西側には横堀状の腰曲輪が築かれている。二ノ郭東の腰曲輪は、前述の通り円弧状になった堀切に沿って北にツノ状に突き出しており、横矢掛かりを意識した配置となっている(土橋はこの先端から斜めに架かっている)。若森城は中々技巧的で、人知れず、素晴らしい遺構が山林の中に眠っている。
主郭~二ノ郭間の土橋→IMG_4661.JPG
IMG_4665.JPG←腰曲輪間の土橋と堀切・横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.151590/140.086842/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:中世平山城
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