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羽沢城(群馬県南牧村) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1037.JPG←腰曲輪の石積み跡
 羽沢城は、砥沢の砦とも呼ばれる。歴史については不明確な部分が多いが、現地では市川五郎兵衛屋敷と表記され、羽沢城の5代目城主として市川五郎兵衛真親の名が伝わっている。真親の前の城主(おそらく真親の父)が右馬介真治で、市川氏本家の砥沢城主市川右近介真乗の弟で、1536年に真乗が25歳で若死にすると、その嫡子久乗が5歳という幼少であったので、その後見を務めて市川氏本家を支えた。真治は、砥沢の関守も兼ね、1588年に73歳で没したと言う。その次の城主真親は1571年頃の生まれと言われ、武田氏・北条氏が滅んで主家を失った後、関東に入部した徳川家康からの仕官の誘いを断り、代わりに1593年12月に家康から鉱山開発・新田開発許可の朱印状を勝ち取った。そして砥沢村(現・南牧村)で砥石山の経営を行うと共に、信州佐久地方へ進出し、私財を投じて用水路を開削、新田開発で多大な功績を挙げた。その名は、今でも五郎兵衛新田や五郎兵衛用水として伝わっており、その功績を伝えるため、佐久市には五郎兵衛記念館が建てられている。
 一方、話が戦国時代に戻るが、国峰城を奪われて武田信玄を頼った小幡憲重・信貞父子は、武田氏の支援によって南牧の砥沢に砦を築いて、国峰城奪還の橋頭堡としたが、その砦が羽沢城ではなかったかとする説もある。しかし現在残る遺構から考えれば、胡桃城裡山砦を含めた砥沢城の方が拠点として相応しいように考えられる。

 羽沢城は、市川氏の本城砥沢城より更に1.3km程奥地にあり、南牧川と星尾川の合流点に築かれている。ここは佐久方面に通じる間道を押さえる交通の要地で、麓の城館と背後の詰城で構成された城であったと推測される。南牧村民俗資料館(旧尾沢小学校)の場所が周囲より一段高い台地となっており、ここに屋敷が置かれていた様だ。校地にした際に大きく改変されているので、どの様な屋敷地だったのかは現状からでは明確にはわからない。一方、その背後の尾根上の詰城は、虎口を兼ねた小堀切とその背後の数段の小郭から構成されただけの小城で、大した兵力を籠めることもできない、ほとんど物見程度のレベルである。それでも一部に石積み跡が見られる。城郭遺構としては見るべきものは少ないが、南牧の歴史を語る上では重要である。尚、城の北東にやや離れて市川五郎兵衛真親の墓が残る他、詰城の登り口に法輪塔が残る。
小堀切→IMG_1031.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.161066/138.659005/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:中世平山城
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