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神保植松城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_3646.JPG←南端の空堀跡と土塁
 神保植松城は、辛科神社の神官であり神保館主であった神保氏の城であったと推測されている。神保館と同時期に並立していたのか、それともより要害性の高い神保植松城に居城を移していたのかは、わかっていない。

 神保植松城は、大沢川西岸の段丘の東端に築かれている。城の中心部は東西に上信越道が貫通しており大きく破壊されているが、北部と南部の遺構が残っている。北部は何段かの曲輪群が築かれ、西側に空堀を築いていたようだが、車道建設で改変され、残った部分も初春でも薮が酷くて確認が困難である。辛うじて西側の腰曲輪があるのがわかる程度である。一方、南部の遺構は、南外周の空堀と土塁がはっきりと残存している。往時は、城の中心に東西に2郭が並び、更にその北に横長の曲輪があって、3つの曲輪で中心部を構成していたらしいが、昭和30年代の航空写真でも既に耕地化で堀は埋められ、曲輪の形は辛うじて畑の形に名残を残すだけである。高速道建設で破壊されてしまったのは残念であるが、消滅部以外は遺構が思ったより良く残っている。折角の遺構なので、せめて解説板ぐらい欲しいところである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.240864/138.975935/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
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