岩染城(群馬県富岡市) [古城めぐり(群馬)]
←二ノ郭から見た主郭切岸
岩染城は、歴史不詳の城である。この地域は国峰城を本拠とした小幡氏の勢力圏にあり、小幡氏の支城であった可能性がある。
岩染城は、300mの城山に築かれている。東側は谷戸に面しており比高は70m程になるが、西側には広い緩斜面の高台が広がっており(現在は一面の耕作地)、こちらからだと比高はわずか30~40m程しかない。従って西側からならば、道もあるので訪城も容易である。堀底道と思われる山道を西から登っていくと、尾根上に北の城側に登っていく道があり、それを入ればもう城域である。岩染城は、山頂の主郭を中心に、周囲に腰曲輪(実質的な二ノ郭であろう)を廻らし、北と南の尾根に曲輪を連ねた簡素な縄張りとなっている。主郭は綺麗に削平され、周囲を8m程の切岸で囲んでいる。後部に小さな土塁があり、虎口脇には石積みが残っている。主郭の北東と南西部には片堀切状の空堀が穿たれている。周囲の二ノ郭は北西部にだけ曲輪間の僅かな段差が設けられている。主郭の北東には三ノ郭があり、その先は堀切で分断され、北尾根の曲輪が続いているが、削平が甘く自然地形に近いので、どこまでが城域だったのかは判断が難しい。一方、南尾根にも細長い曲輪があり、途中を堀切で分断している。岩染城は、それほど技巧的な縄張りではないが、よく整った形の城で、遺構がよく残っている。山内の手入れもされているので、薮もなく遺構が見やすいし歩きやすい。この地域の城としては断崖などの危険性もないので、お勧めである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.227416/138.861501/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
岩染城は、歴史不詳の城である。この地域は国峰城を本拠とした小幡氏の勢力圏にあり、小幡氏の支城であった可能性がある。
岩染城は、300mの城山に築かれている。東側は谷戸に面しており比高は70m程になるが、西側には広い緩斜面の高台が広がっており(現在は一面の耕作地)、こちらからだと比高はわずか30~40m程しかない。従って西側からならば、道もあるので訪城も容易である。堀底道と思われる山道を西から登っていくと、尾根上に北の城側に登っていく道があり、それを入ればもう城域である。岩染城は、山頂の主郭を中心に、周囲に腰曲輪(実質的な二ノ郭であろう)を廻らし、北と南の尾根に曲輪を連ねた簡素な縄張りとなっている。主郭は綺麗に削平され、周囲を8m程の切岸で囲んでいる。後部に小さな土塁があり、虎口脇には石積みが残っている。主郭の北東と南西部には片堀切状の空堀が穿たれている。周囲の二ノ郭は北西部にだけ曲輪間の僅かな段差が設けられている。主郭の北東には三ノ郭があり、その先は堀切で分断され、北尾根の曲輪が続いているが、削平が甘く自然地形に近いので、どこまでが城域だったのかは判断が難しい。一方、南尾根にも細長い曲輪があり、途中を堀切で分断している。岩染城は、それほど技巧的な縄張りではないが、よく整った形の城で、遺構がよく残っている。山内の手入れもされているので、薮もなく遺構が見やすいし歩きやすい。この地域の城としては断崖などの危険性もないので、お勧めである。
主郭虎口の石積み→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.227416/138.861501/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平山城
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