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月生城(長野県高山村) [古城めぐり(長野)]

IMG_4129.JPG←西の腰曲輪を刻む畝状竪堀
 月生城は、信濃源氏井上氏の庶流須田氏が築いた城と推測されている。須田氏の本城は月生城の西側に隣接する大岩城で、月生城はその支城であった可能性がある。須田氏の事績は須田城の項に記載する。一方、月生城の背後には、明覚山を抜ける灰野峠を通る古道があり、上杉謙信が川中島への進軍路として使った道と伝えられ、謙信道と呼ばれている。そのため月生城は、上杉氏にとっても川中島への軍道を確保する為に重要な城であったと思われる。

 月生城は、明覚山の北東に伸びる支尾根先端の標高710mのピークに築かれている。城への登り口は東尾根の麓にある。柵を入ると、明確な道はないが登りやすい尾根筋となる。ここを登っていくと僅かな小堀切があり、その先は東尾根曲輪群となっており、多数の小郭が連なっている。登り切ると城の中心部に至る。山頂に縦長の主郭があり、東面以外は土塁が築かれている。主郭内は2段の平場に分かれており、『信濃の山城と館8』では1郭・2郭と分けて認識しているが、段差も小さく一つの曲輪と見るべきである。主郭の先端には小さな囲郭があり、珍しい形態である。主郭の周囲にはコの字に腰曲輪が取り巻いている。主郭背後は堀切が穿たれており、そこから落ちる竪堀と連携して、東西の斜面にそれぞれ畝状竪堀が穿たれている。特に西斜面のものは腰曲輪を刻むように穿たれており、長野方面の城では珍しい形だと思う。主郭周囲の腰曲輪から北尾根と西尾根に曲輪群が伸びており、各々曲輪群の付け根と先端付近に堀切が穿たれている。東尾根曲輪群より北尾根曲輪群の方が曲輪のサイズが大きいので、こちらが大手だったことがわかる。主郭の南には、前述の堀切を介して二ノ郭があるが、郭内に岩がゴロゴロしていて居住性は悪い。後部に小さな土塁と堀切が築かれている。南尾根の先には小ピークがあり、堡塁であったとされている。月生城は、おびただしい数の曲輪を支尾根に築いて防御を固めた城で、軍道確保の重要性がその縄張りから窺われる。またこの地域では珍しい形の畝状竪堀や囲郭など、もしこれが上杉氏による構築だとしたら縄張り面でも興味深い。
土塁のある主郭→IMG_4154.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.655320/138.351495/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/01/10
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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