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小曽崖城(長野県中野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_4734.JPG←主郭手前の堀切
 小曽崖城は、この地の土豪新野氏が築いたとされる城である。しかし1463年に、新野氏は上杉氏の支援を受けて大熊氏と共に高梨氏と戦ったが敗れ、小曽崖城には高梨氏の家臣が入った。高梨氏の支配時代には、鴨ヶ嶽城・鎌ヶ嶽城二十端城などと共に高梨氏の本拠防衛の一翼を担っていたと推測されている。

 小曽崖城は、標高590mの山上に築かれている。城を巻くように山道が付いているが、未舗装路なので安全を見て南東麓の動物除けの電撃柵の付近に車を駐めて延々と歩いたが、普通に走れる道だった。小曽崖城は590mの峰から北東に伸びる尾根が城の主部で、北西に伸びた尾根の先にも出城が築かれている。
 まず北西の出城は、細尾根上の曲輪の周囲に数段の腰曲輪を廻らした簡素な城砦で、後部に狼煙台とされる塚の様な土壇がある。また北斜面には上下の腰曲輪を繋ぐ竪堀状の城道も築かれている。アクセスは、前述の山道が鋭角に折れ曲がる所の電撃柵が取り外せるようになっており、そこから尾根筋を辿ればよい。
 主城部は、北東尾根の西側に堀之内No.5鉄塔の保守道があり、この道を使って取り付くことができる。鉄塔の建っている曲輪の先に小堀切があり、更に尾根の平場が広がっている。先端付近には数段の小郭群が築かれている。この付近に旗塚と言う塚があるらしいのだが、形が崩れてしまっているのか、よくわからなかった。一方、鉄塔から南西に尾根を辿ると、多数の段曲輪群が続き、3本の小堀切の先に頂部の主郭がある。主郭は後部に低土塁を築き、背後に堀切が穿たれている。その先にも小堀切があって城域が終わっている。
 小曽崖城は、城域は広いが基本的には細尾根城郭で、曲輪も堀切もいずれも規模が小さい。全体的に普請が小規模で大した防御性がなく、まるで村の城(村人の逃げ込み用の城のこと)の様である。おまけに尾根筋はほとんど未整備で、しかも今春は暖かかったために草木の生い茂るのが早く、踏査がなかなか大変だった。主城から更に南に尾根を登ったところに砦の遺構もあるらしいのだが、藪尾根で踏破が難しいと判断し、行くのは諦めた。
北西の出城の曲輪→IMG_4672.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:【本城】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.713654/138.369005/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1

    【北西の出城】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.716165/138.365014/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/01/10
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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