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大類城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_8792.JPG←主郭跡の現況と城址碑
 大類城は、和田城(後の高崎城)の出城として戦国後期に存在した城と考えられている。元々この地には武蔵七党児玉党の一流、大類氏がおり、平治の乱以来戦国期までその足跡が確認できるが、大類氏は大類城の南250mの位置にあった大類館に居たと考えられている。一方、大類城は、その縄張りと発掘調査で確認された出土遺物から、永禄・元亀・天正(1558~92年)の頃に20数年間存在した城と推測されている。この地域の歴史と照合すると、この城は箕輪城落城後のもので、和田城主和田氏が支城として築き、新後閑右京亮が城代として在城し、1590年の小田原の役によって廃城になったと考えられる。

 大類城は、一貫堀川の北側の平地に築かれた城である。城内は宅地化や耕地化で改変され、遺構はほぼ湮滅している。主郭があったところには城址碑が立ち、主郭付近は周囲よりやや高くなっている。城の周辺には、判形・原邸などの環濠遺構があり、築城前からあった屋敷を外堡として利用したと考えられているが、現在明確に残っているのは判形の北端部の堀跡で、水路の形として残っている。また熊野神社南の空地の奥に堀跡らしい地形が見られ、これが唯一の現存遺構かもしれない。尚、宿大類公民館脇に、大類城を含めたこの地域の城館跡についての解説板が建っている。
堀跡らしい地形→IMG_8808.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.330503/139.041831/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


タグ:中世平城
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