木部城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]
←堀跡と思われる道路
木部城は、この地の土豪木部氏の居城である。木部氏については木部氏館の項に記載する。当初は館に居住していたと思われるが、戦国後期に上州が激しい戦乱に包まれると、永禄年間(1558~69年)の頃に新たに木部城を築いて居城を移したのではないかと考えられる。
木部城は、北側に鏑川の河道跡を臨んだ平地に築かれている。主郭とニノ郭を回字状に築いた環郭式の城だったらしい。現在城跡は宅地と畑になっており、遺構はほとんど湮滅している。方形に道が廻っているのが主郭である。よく見ると、主郭跡は周囲よりわずかな微高地となっている。周囲の道は堀跡だと思われるが、埋められているので城跡だと知らないと堀跡だとは気付かない。南西角にはわずかな土盛りがあり、もしかしたら残存土塁であるかもしれないが、はっきりしない。ニノ郭はほとんど痕跡すら残していない。以上の様な感じで、残念ながら木部城はほとんど消え失せており、残念である。尚、城跡には「堀之内」の地名が残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.280832/139.050157/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
木部城は、この地の土豪木部氏の居城である。木部氏については木部氏館の項に記載する。当初は館に居住していたと思われるが、戦国後期に上州が激しい戦乱に包まれると、永禄年間(1558~69年)の頃に新たに木部城を築いて居城を移したのではないかと考えられる。
木部城は、北側に鏑川の河道跡を臨んだ平地に築かれている。主郭とニノ郭を回字状に築いた環郭式の城だったらしい。現在城跡は宅地と畑になっており、遺構はほとんど湮滅している。方形に道が廻っているのが主郭である。よく見ると、主郭跡は周囲よりわずかな微高地となっている。周囲の道は堀跡だと思われるが、埋められているので城跡だと知らないと堀跡だとは気付かない。南西角にはわずかな土盛りがあり、もしかしたら残存土塁であるかもしれないが、はっきりしない。ニノ郭はほとんど痕跡すら残していない。以上の様な感じで、残念ながら木部城はほとんど消え失せており、残念である。尚、城跡には「堀之内」の地名が残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.280832/139.050157/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:中世平城
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