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小幡陣屋(群馬県甘楽町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9448.JPG←陣屋の復元石垣・空堀・土塁
 小幡陣屋は、後には小幡城とも呼ばれ、小幡藩を立藩した織田氏によって築かれた陣屋である。元々この地には、国峰城主であった小幡氏が国峰城築城以前に居住していたとも言われ、国峰城に居城を移してからは小幡氏重臣の熊井戸対馬守正満が屋敷を構えていたとされる。1615年に織田信雄(織田信長の2男)に大和国宇陀郡3万石・上野国小幡2万石が与えられると、翌年、信雄の子信良が福島陣屋に入部して、織田氏による小幡統治が開始された。1629年、3代信昌の時に小幡への陣屋移転を決め、13年後の1642年に陣屋が完成して藩政の中心を小幡に移した。また陣屋屋敷に南面して楽山園と呼ばれる庭園も造営された。しかし一説には1621年に織田信雄が楽山園を造営したとも言われているが、真偽は不明である。1767年、明和事件が起こって織田藩は出羽高畠2万石に転封され、8代152年に及ぶ織田家の小幡支配は終わりを告げた。織田家転封後、松平忠恒が小幡に入部し、以後4代続いて幕末まで存続した。この間、3代忠恵は、20余年間若年寄を勤めた功績により、1850年に「城主格」に進められた為、以後小幡陣屋は「小幡城」と呼ばれる様になった。

 小幡陣屋は、雄川東岸の段丘上に築かれている。陣屋よりも国名勝に指定されている楽山園の方が有名であるが、現在は陣屋跡や楽山園が復元整備されて公開されている。御殿はないが、中門の桝形石垣や内部の仕切り土塁・空堀・石垣が復元されている。また調査で検出された建物跡も地面に表示されている。井戸跡は御殿側に2ヶ所、庭園側に1ヶ所復元されているが、庭園側のものは熊井戸と表記され、戦国期の熊井戸氏の館にあったものらしい。陣屋・庭園以外にも、「城下町小幡」ということで武家屋敷や大手道(中小路)の石垣や喰い違い郭なども残っていて、往時の雰囲気を残している。
庭園に復元された熊井戸氏館跡→IMG_9483.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.228887/138.914566/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


完本 【決定版】 図説 江戸三百藩「城と陣屋」総覧

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2013/08/28
  • メディア: 単行本


タグ:陣屋
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