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西門館(宮城県登米市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_9787.JPG←主郭南の堀跡らしい窪地
 西門館は、葛西大崎一揆の最終局面、佐沼合戦で伊達軍と戦って討死した千葉越前道胤の居城である。道胤は、奥州千葉氏の一流下油田千葉氏の出で、葛西氏の重臣であった。1579年の峠城主寺崎良次と岩ヶ崎城主富沢直綱との抗争の際、千葉良胤・道胤父子が寺崎氏に加わって活躍し、道胤は戦功により加増を受けた。その後、父と共に栗原郡石越村に西門館を築いて居城を移したと言う。1590年の葛西大崎一揆の際、道胤は旧臣達を糾合して挙兵し、佐沼城に立て籠もった。しかし伊達軍の攻撃を受け、佐沼城から迫川を渡った地で討死したと言う。

 西門館は、JR石越駅のすぐ東側に広がる比高15m程の丘陵上に築かれている。地形を見ると熊野神社の西側が丘陵の頂部で、主郭があったと思われるが、現在は民家が建っている。おまけに『日本城郭大系』によれば、頂部の平場(主郭)は土取で削られたらしい。熊野神社の境内も城跡のはずだが、近くにいたお婆さんに聞いたところ神社付近は城跡ではないとは言っていた。どこかで伝承が誤ってしまったのだろう。主郭付近の南側には堀跡らしい窪地も見られる。この他、丘陵西端にも神社があり、そこは小さな平場になっており、物見台だったと思われる。西門館は、遺構がかなり失われており、標柱もないのが残念である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.768757/141.162386/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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