桜ノ目館(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]
←堀跡っぽい道路
桜ノ目館は、石母田館とも言い、仙台伊達藩の家臣石母田家の居館である。高清水要害を領した石母田家の分家で、石母田宗頼の次男頼章がこの地に1000石で分封されて屋敷を構えた。8代石母田但馬頼至は幕末に於ける勤王家で、ペリー来航の際に藩主に攘夷を建白し、戊辰戦争の時には収拾役を命じられて官軍との和平交渉全権を務めた。石母田家は桜ノ目地区の歴史に深く関わる名家であったと言う。
桜ノ目館は、江合川北岸の平地に築かれている。現在は宅地化が進み、明確な遺構は確認できない。周囲の道路や水路は堀跡っぽく見えるが、どうであろうか。また民家に土塁跡のような土盛りも見られるが、遺構かどうかは不明である。県道脇に解説板が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.604865/140.947520/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
桜ノ目館は、石母田館とも言い、仙台伊達藩の家臣石母田家の居館である。高清水要害を領した石母田家の分家で、石母田宗頼の次男頼章がこの地に1000石で分封されて屋敷を構えた。8代石母田但馬頼至は幕末に於ける勤王家で、ペリー来航の際に藩主に攘夷を建白し、戊辰戦争の時には収拾役を命じられて官軍との和平交渉全権を務めた。石母田家は桜ノ目地区の歴史に深く関わる名家であったと言う。
桜ノ目館は、江合川北岸の平地に築かれている。現在は宅地化が進み、明確な遺構は確認できない。周囲の道路や水路は堀跡っぽく見えるが、どうであろうか。また民家に土塁跡のような土盛りも見られるが、遺構かどうかは不明である。県道脇に解説板が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.604865/140.947520/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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