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葉山城(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_0030.JPG←三条平南端の空き地
 葉山城は、南北朝期に奥州総大将として奥羽に派遣された石塔義房が本拠を置いたとされる城である。石塔氏は足利一門で、義房・頼房父子は足利直義に近く、室町幕府の内訌「観応の擾乱」の際には、終始ガチガチの直義党として尊氏に敵対して、薩埵山合戦武蔵野合戦で戦ったことが知られている。それ以前の1337年、奥州総大将であった斯波家長が鎌倉の杉本城で北畠顕家率いる奥州勢に攻め滅ぼされると、足利幕府はその後任の奥州総大将として義房を奥州に下向させた。この後、1345年まで義房は奥州経営を推し進め、奥州南朝勢力の鎮定を進めた。この時、本拠としたのが葉山城だと言うのである。しかし義房が下向した時、既に顕家を失っていた奥州南朝勢力は各地で頽勢覆い難く、そんな時期に攻勢に出るべき奥州総大将が、最初から山深い山間の奥地を本拠としたとは考えにくいと思う。周辺には、石塔氏の家臣が城主だったという城も点在しているが、それも甚だ疑問である。

 葉山城は、三条山の南中腹に広大に広がる三条平と呼ばれる高原にあったと言う。現在は一部が空き地になっていたりアンテナが建てられていたりする以外は、森林が広がっているだけである。奥まで車道が伸びているようだが、未舗装の車道の両側は深い林で覆われており、しかもアブ・ハチがブンブンとたかってきて車から出ることもできなかった。詰城として三条山に三条館が築かれていたようだが、いずれにしても奥州総大将石塔義房がこの地を本拠としたとは考えにくい。一体この謎の伝承は何に基づくのだろうか?安永風土記辺りに記載されているらしいが史実とは考えにくく、葉山城の存在も謎である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.756309/140.726463/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:中世平山城
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