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大塔城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_0305.JPG←大当集落の遠望
 大塔城は、古書『大塔物語』に「大塔の古要害」と記載され、室町中期に信濃で生起した大塔合戦の主戦場である。大塔合戦は、信濃守護に復帰した小笠原長秀に対して有力国人衆が大文字一揆を結んで挙兵したもので、その経緯については二ツ柳城の項に記載する。『大塔物語』によれば、大塔合戦以前から古い要害があったが、当時は廃されていたと伝えられる。四宮河原で敗れた長秀は、深手を負って塩崎城に辛うじて逃げこんだが、逃げ遅れた坂西長国ら300騎は大塔の古要害(大塔城)に逃げ込んだ。大塔城に拠る劣勢の小笠原勢は、国人一揆の重囲の中で20日間にわたって籠城して抗戦したが、最後は食糧が尽きて全滅したと言う。その後、長秀は一族の大井光矩の仲介で和睦し、京都に逃げ帰った。従来は大当の地が大塔城と考えられてきたが、近年では二ツ柳城であったという説が有力視されているものの、未だに定説を見ない。

 大塔城は、岡田川東岸の大当集落にあったと言われている。『日本城郭大系』によれば、戦前まで一部に堀が残っていたらしい。現在は明確な遺構は全く見られない。川沿いの低湿地に築かれた平城なので、20日間の籠城戦を行った城址とするには不適と言うのが二ツ柳城説の根拠であるが、近代以前より集落があるということは、逆に低湿地帯に囲まれた要害であったとも推測される。現に結城城なども、現在の地勢からすれば大した要害性を持たない様に見えるが、実際には幕府の大軍を前にして1年近くにわたる籠城戦を展開している(結城合戦)。従って往時は、現在考えられるよりも全く異なる様相を呈していた可能性も考えられる。いずれにしても、今後の考究が待たれる。尚、岡田川対岸の大当公民館脇に解説板が立っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.567546/138.131887/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


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