生仁館(長野県千曲市) [古城めぐり(長野)]
←堀跡を思わせる水路
生仁館は、唐崎城に対する平時の居館と考えられている。応永年間(1394~1427年)の館主は生仁(身)大和守とされ、雨宮摂津守の弟であったとも言われている。事績については唐崎城の項に記載する。
生仁館は、唐崎城西麓の平地にある。沢山川に五十里堰(生仁川)が合流する地点の南に当たる。往時は方形の堀で囲まれていたと言うが、宅地化で遺構は完全に湮滅している。しかし屋敷地は周囲よりわずかに高くなっており、また東側には堀跡の名残を思わせる水路が流れている。いずれにしても、今となっては失われた城館である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.544829/138.149096/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
生仁館は、唐崎城に対する平時の居館と考えられている。応永年間(1394~1427年)の館主は生仁(身)大和守とされ、雨宮摂津守の弟であったとも言われている。事績については唐崎城の項に記載する。
生仁館は、唐崎城西麓の平地にある。沢山川に五十里堰(生仁川)が合流する地点の南に当たる。往時は方形の堀で囲まれていたと言うが、宅地化で遺構は完全に湮滅している。しかし屋敷地は周囲よりわずかに高くなっており、また東側には堀跡の名残を思わせる水路が流れている。いずれにしても、今となっては失われた城館である。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.544829/138.149096/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
タグ:居館
2019-02-03 02:00
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