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西山楯(宮城県丸森町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_4248.JPG←片堀切と土橋
 西山楯(西山館)は、戦国後期の伊具郡を巡る伊達・相馬両氏の抗争の中で伊達成実が陣取りしたとされる陣城である。伊達家当主の政宗は、すぐ隣の冥護山楯に本陣を置いている。伊具郡を巡る抗争については、冥護山楯の項に記載する。

 西山楯は、冥護山楯の西側に谷戸を挟んで並走する山稜上に築かれている。既報の通り、山林伐採で重機が城内に入っており、主郭から北の部分は大きく破壊を受けてしまっている。基本的に細尾根に沿って曲輪を連ねただけの城で、城内は大きく3つの曲輪で構成されていたらしい。一番南がニノ郭で、くの字に曲がった曲輪で、南西斜面に横堀があったが、重機で踏み荒らされてはいるものの、堀の形状は辛うじて残っている。ニノ郭と主郭の間には片堀切が穿たれ土橋が架かり、そこは幸いに破壊を免れている。主郭は、二ノ郭との間の片堀切を睥睨する南端部にL字型の低土塁が見られる。主郭もノの字に湾曲しているが、東側に帯曲輪が確認できる。しかし主郭の北側半分は重機で蹂躙されている。北の三ノ郭との間にも堀切があったようだが、ちょうど重機の通り道となってしまい、窪地形状は見られるが無残に破壊されている。三ノ郭はすっかり破壊されていて、往時の形状はわからなくなっている。西山楯は、冥護山楯と比べるとささやかな遺構で、技工性も感じられない。細尾根でもあり、成実率いる軍団が陣営を敷くにしても、ちょっと狭過ぎる様に思う。それにしても、埋蔵文化財包蔵地にも指定されていなかったため、無残に破壊されてしまったのは非常に残念である。
ニノ郭南西の横堀跡→IMG_4232.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.901356/140.820286/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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