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真岡陣屋(栃木県真岡市) [古城めぐり(栃木)]

IMG_4722.JPG←陣屋跡の公園
 真岡陣屋は、江戸後期に建てられた陣屋である。1793年、真岡代官・竹垣三右衛門直温は、関東郡代付代官として下野国・常陸国・下総国・上総国・安房国の6万石を支配した。竹垣代官は、天明の飢饉による荒廃地の復旧には直接指導が必要と考え、1797年、下野国芳賀郡と常陸国筑波郡にそれぞれ真岡陣屋と上郷陣屋を幕府の費用で造営し、代官自身が陣屋を往復して民政に当たった。竹垣代官は芳賀18ヶ村を支配し、1814年に高齢を理由に代官を辞すまで、長期に渡って真岡陣屋に在陣し、農村復興に意欲的に取り組んだ。芳賀18ヶ村の人々は、その徳を称え、協力して海潮寺に「竹垣君徳政碑」を建てた。その後1848年に、山内総左衛門董正(ただまさ)が真岡・東郷両陣屋を統合する形で支配し、真岡代官の支配地が拡大された。1851年2月に陣屋が焼失したため、同年中に原類助・二宮金次郎が中心となって、規模を縮小して陣屋を再建した。1868年5月、幕末の動乱の中で最後の代官山内源七郎が殺害され、再び陣屋が焼失し、そのまま廃陣となった。

 真岡陣屋は、かつての真岡城の南端の曲輪に建てられていた。現在は城山公園となっている。10年前に訪れた時は緑豊かな公園であったが、東日本大震災の時に法面が崩れるなど公園は大きな被害を受け、その後綺麗に復旧されたものの、今は空き地のような殺風景な公園になってしまっている。陣屋阯の石碑も中央に折れた跡が残り、震災の被害を残している。陣屋遺構は全く残っていないので、往時の姿は望むべくもないのが残念である。せめて緑豊かな公園の姿には戻して欲しいと思う。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.442120/140.006697/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:陣屋
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