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有壁楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_5754.JPG←主郭背後の大堀切
 有壁楯(有壁館)は、当初は大崎氏家臣後藤美作・菅原帯刀の居城、後に葛西氏家臣有壁尾張・有壁安芸・有壁摂津の3代にわたっての居城であったとされる。有壁摂津は、西館(鶴頭城)城主としてもその名が見える。東方350m程の所には奥州街道有壁宿があり、街道を押さえる要害であったことがわかる。

 有壁楯は、有馬川北岸の比高30m程の丘陵南端部に築かれている。地勢は国土地理院地形図の等高線で見えるのとは違い、大きく抉れた東斜面より西側斜面の方が傾斜が緩いため、防御構造は西側に集中して築かれている。登り口は東麓にあり、標柱が立っているが、明確な道はあまりなく、わずかな踏み跡を辿って東尾根を登って行くと、2段程の段曲輪が確認でき、その上に主郭の虎口が築かれている。直接主郭に至ることから、この南東尾根は搦手であったことがわかる。主郭はほぼ長方形の曲輪で、西側のみに低土塁が築かれている。北西には大手虎口があり、大堀切と横堀に挟まれた土橋で二ノ郭に連結している。ニノ郭は、主郭の北西に一段低く築かれ、主郭との間には前述の通り横堀が穿たれ、北西辺に一段低く腰曲輪を築いている。その下方には横堀の塹壕線が築かれ、しっかりした土塁で横堀外側を防御している。土塁の南端は櫓台となっている。この様に西側には射撃戦を想定した重厚な防御構造が見られる。一方、主郭背後には大堀切が穿たれ、その北側に三ノ郭が築かれている。大堀切からは長い竪堀が落ち、前述のニノ郭外の横堀と交差して繋がっている。三ノ郭の北に更に堀切が穿たれて城域が終わっているが、この堀切からも竪堀が西に長く落ちている。三ノ郭は、背後に土塁が築かれているが、西側は腰曲輪等のない只の緩斜面で、不思議な普請である。相方は、敵兵をおびき寄せる罠じゃないかと推測していたが、竪堀による誘導を考えるとなるほど、そういう考え方もあるかと、その発想に感心した。有壁楯はこの様に遺構が良く残り、西側に重厚な防御構造を有しているが、残念ながら未整備で薮が多く、見映えしないのが残念である。
ニノ郭北西側の横堀→IMG_5769.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.870353/141.122067/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2017/08/21
  • メディア: 単行本


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