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高田城(群馬県富岡市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_6606.JPG←主郭の土塁
 高田城は、この地の土豪高田氏の本城である。高田氏の祖は、源頼光の曾孫盛員(もりかず)と言われ、盛員は甘楽郡菅野荘高田郷を領した。その10代の後裔高田憲頼は、関東管領山内上杉憲政に仕え、1547年、佐久に侵攻した武田信玄が笠原清繁の志賀城を攻撃した際、親族の笠原氏を助けて志賀城に立て籠もり、討死にした。その子繁頼は、西牧地区の諸城に拠って信玄の上州侵攻に抵抗したが、1561年に降伏した。繁頼の子信頼は、武田氏滅亡によって北条氏に服属したが、信頼の子直政の時に北条氏も滅亡し、関東に入部した徳川家康に仕えて300石を給され、旗本となって存続したと言う。

 高田城は、高田川南岸の丘陵地帯の中の245mのピークに築かれている。『境目の山城と館 上野編』に「現状は荒廃の極にある」と記されている通り、竹薮・笹薮でひどい状況にある。山頂の主郭から北東に伸びる尾根に段々に曲輪群が築かれ、先端に大手があったと見られるが、先端の道路から曲輪内に突入すると、そこは物凄い竹薮地獄で、一部に櫓台や堀切の痕跡はあるものの、そこから先への突破は不可能であった。仕方なくゴルフ場に至る西の車道脇から谷戸を越えて主郭を目指して登り直した。主郭周囲には数段の腰曲輪が築かれ、その上に主郭がそびえている。主郭は全周の2/3程を高さ1.5m程の立派な土塁で防御しているが、ここも竹薮が酷い。主郭全体の形は、南北に長く、中央部が狭くなった形をしている様である。南西に堀切があった様だが、ゴルフ場造成で消滅している。以上の様に、遺構は残っているものの、激薮で踏査はかなり困難で、残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(薮で減点)
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.266958/138.840237/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2015/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世平山城
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