神戸の砦(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]
←高台となった戸榛名神社境内
神戸の砦は、箕輪城防衛の為に築かれた長野氏の支城である。戸榛名神社の社人桜沢伊賀守が守っていた。箕輪城の第2の防衛線が、高浜の砦を中心とした住吉城・七曲りの砦・神戸の砦・駒寄の砦という烏川北岸の段丘崖に沿ったラインに構築されていたとされる。1566年の武田信玄による箕輪城・鷹留城攻撃の際、桜沢氏は武田勢に降伏したが、社殿は焼き払われ砦は廃されたと言う。
神戸の砦は、烏川北岸の標高210m、比高55mの段丘上に築かれている。戸榛名神社の社殿を中心とした平地が砦跡であったらしいが、周囲は一面の耕作放棄地で、深い薮に覆われて全く旧状がわからない。戸榛名神社のところだけ高台となっており、基本的には神社を武装化した簡素な砦であったと思われる。言われない限り、ここが砦跡とは誰もわからないだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.375167/138.916991/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
神戸の砦は、箕輪城防衛の為に築かれた長野氏の支城である。戸榛名神社の社人桜沢伊賀守が守っていた。箕輪城の第2の防衛線が、高浜の砦を中心とした住吉城・七曲りの砦・神戸の砦・駒寄の砦という烏川北岸の段丘崖に沿ったラインに構築されていたとされる。1566年の武田信玄による箕輪城・鷹留城攻撃の際、桜沢氏は武田勢に降伏したが、社殿は焼き払われ砦は廃されたと言う。
神戸の砦は、烏川北岸の標高210m、比高55mの段丘上に築かれている。戸榛名神社の社殿を中心とした平地が砦跡であったらしいが、周囲は一面の耕作放棄地で、深い薮に覆われて全く旧状がわからない。戸榛名神社のところだけ高台となっており、基本的には神社を武装化した簡素な砦であったと思われる。言われない限り、ここが砦跡とは誰もわからないだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.375167/138.916991/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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