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諏訪の木城(群馬県みなかみ町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9840.JPG←主郭と空堀
 諏訪の木城は、真田氏の支城である。1581年6月、真田昌幸はこの城に塩原源太左衛門を置いて守らせた。しかし1589年に豊臣秀吉による沼田領帰属問題の裁定があり、小田原北条氏に引き渡され、以後は北条氏滅亡まで望月主計・塩原清左衛門が置かれたと言う。

 諏訪の木城は、赤谷川北岸の標高456m、比高40m程の段丘先端部に築かれている。城内は耕地化で改変されており、一部遺構の湮滅が見られるが、主郭などの曲輪の形状は比較的明瞭に残っている。段丘先端部の崖端城にしては珍しく、主郭は台地基部側に当たる城域西側の南に偏して築かれている。方形の曲輪で外周を空堀で囲んでいたと思われるが、北側の空堀は耕地化で埋められてしまっていて切岸の段差が残っているだけとなっている。東西の空堀は大きく、その形状を残している。主郭の北から東にかけてはニノ郭で、二ノ郭先端にも大きな竪堀(片堀切?)が穿たれて、更に東の三ノ郭との間を区画している。この竪堀のすぐ東には、三ノ郭後部の大きな櫓台が築かれている。三ノ郭は広大な曲輪で、現在は空き地となっているが、辺縁部の一部に土塁が残っている。『日本城郭大系』では三ノ郭を捨曲輪としており、所収の縄張図では長円形の曲輪としているが、実際には北に角状の突出部を持った形をしている。また三ノ郭の東側先端部に小堀切が穿たれ、笹曲輪が築かれている。笹曲輪の南東下方にも腰曲輪が築かれている。諏訪の木城は、主郭は薮に埋もれているが、二ノ郭・三ノ郭は歩きやすい。ただ『大系』に、土居・堀の斜面が野面積みの石垣で被覆されている、とあるが、これは既に湮滅してしまった様である。
三ノ郭の櫓台→IMG_9869.JPG
IMG_9897.JPG←三ノ郭先端の小堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.681791/138.949006/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本



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