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手臼山砦(群馬県桐生市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1319.JPG←主郭北側の浅い横堀
 手臼山砦は、彦部屋敷の背後にある物見の砦である。彦部屋敷の主・彦部氏は、足利尊氏の執事として室町幕府創業期に辣腕を振るった高師直で有名な高氏の庶流である。高氏は高階氏の出自で、源頼義の頃に清和源氏と姻戚関係を生じ、その後源氏の家臣となったらしい。後には下野国足利庄に下向した源義国に従って高惟貞も下野国に下り、源姓足利氏の重臣として活躍し、執事職を歴任することとなった。高氏は大高・南・彦部らの諸氏を輩出し、元弘の乱で足利尊氏が一族を引き連れて鎌倉を出陣した際には、足利一門32人に対して「高家の一類43人」とあり、主家足利氏を上回る人数になっていた(『太平記』第9巻)。この地の彦部氏は、伝承では1336年5月の摂津湊川の合戦で討死にした彦部光高を祖とする一族とされる。彦部氏ではこの他にも、観応の擾乱の際に1352年に武庫川で惨殺された高一族の中にも彦部七郎の名が見え、また2代将軍足利義詮に供奉した彦部秀光も知られ、室町期には幕府の奉公衆として京都で活動した様である。1561年、彦部信勝は、関東に下向した関白近衛前嗣に従って上野国に下り、近衛親子の帰京後も桐生市広沢に留まり、後に帰農した。

 手臼山砦は、彦部屋敷背後の標高190m、比高100m程の山上に築かれている。東麓の賀茂神社の脇から登山道が整備されている。但し、一応道はあるが砦の近くなど一部途絶に近い部分もあるので、注意を要する。物見と言うだけあって小規模な城砦で、頂部の主郭の他、数段の腰曲輪で構成されただけの簡素な造りである。主郭北側には浅い横堀が穿たれているのも確認できる。西尾根はなだらかな広い尾根であるが、自然地形で積極的に普請された形跡は見られない。あくまで山上の小城砦だったのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.372058/139.346015/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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