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高津戸城(群馬県みどり市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1689.JPG←二ノ郭群外周の横堀
 高津戸城は、山田七郎平吉之の後裔の山田氏の居城であったとされる。しかし1351年、山田則之が城主の時に桐生城主桐生国綱によって滅ぼされたと言われる。1371年に、新田氏の一族里見氏の7代義連の3男氏連が桐生国綱の娘婿となり、その縁で仁田山八郷を国綱から任された。氏連から4代後の宗連は上杉謙信に攻められて自刃した。安房里見氏の一族と言われる里見勝広(上総入道)は、仁田山城の同族宗連の元に身を寄せていたが、宗連の死後は桐生助綱に客将として迎えられ、厚い信任を受けて仁田山城主となった。助綱の後を継いだ親綱は、失政が多く家中は乱れ、諫言した勝広を讒言によって自刃させた。勝広の二子、随見勝政と平四郎勝安の里見兄弟は、上杉謙信の助力を得て高津戸城を再興し、父の敵である石原石見守を討とうとしたが、石原氏に助勢した由良国繁に高津戸城を攻撃され、敗れて1578年9月に兄弟共に滅亡したと言う。但し、これらの伝承には不可解な点も多く、里見兄弟の墓と称される五輪塔も、形式的には鎌倉~南北朝時代のものとされ、時代が一致しないと言う。

 高津戸城は、渡良瀬川東岸に張り出した標高270mの要害山に築かれている。城内は公園化され、主郭には要害神社が建っているので一部改変を受けているが、遺構は全体によく残っている。城域は大きく3つに分かれ、山頂の主郭を中心に腰曲輪を廻らした主郭群、その南に扇状に展開する二ノ郭群、南の舌状尾根に広がる三ノ郭群がある。車で登った先の駐車場は三ノ郭群の付け根で、かつては2本の堀切があったらしいが、現在は改変されて湮滅している。しかし東斜面には段々に平場が広がっており、公園化による改変もあるものの、角張った塁線も散見され、往時の曲輪群の遺構と考えられる。二ノ郭群は最下段に円弧状に横堀を穿って三ノ郭群と分断し、南西と東の横堀を越えて入った所に桝形虎口を築いている。主郭群は改変が多いが、切岸が明瞭で、坂虎口らしい跡も確認できる。主郭の西に2~3段の段曲輪があり、北東尾根にも曲輪群が並び、北東尾根は3本の堀切で分断されている。この内、内側の1本目の堀切は、そのまま腰曲輪と連結しており、主郭の東下方を抜けて二ノ郭群に通じている。遺構は以上の通りで、技巧性は少ないものの普請はしっかりしており、戦国後期に拠点的城郭として利用されたことが伺われる。
北東尾根の堀切→IMG_1699.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.438305/139.281235/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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