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谷山城(群馬県桐生市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1788.JPG←低土塁のある主郭
 谷山(やつやま)城は、桐生親綱に攻められた仁田山城主里見勝広が自害した城と伝えられる。『日本城郭大系』によれば、元々この地の土豪谷氏の城で、谷直綱は1335年の中先代の乱の時に最後の得宗北条高時の遺児時行に属したとされ、数代後の近綱は享徳の乱の際に上杉勢の本陣であった武州五十子に参陣し、討死したと言う。以後、谷氏は桐生に移り、その跡地は二階堂氏の所領となり、その家臣里見家連が城を守ったが、1574年に上杉謙信に攻撃され、家連は討死し、その子河内は逃れて里見の古城に拠ったと伝えられるというが、この伝承は「はなはだ疑わしい」としている。
 しかし谷山城の歴史には不明な部分もあり、黒田基樹著『戦国北条氏五代』では、北へと勢力を伸ばす小田原北条氏に対して、越山した上杉謙信が1575年10月、沼田衆が守る桐生領仁田山城に対する向城として金山城主由良氏が築いた「谷山城」を攻略したと記載している。この間、どの様な変遷で仁田山城に沼田衆が入り、それと対峙するようになったのかは、よくわからない。

 谷山城は、標高449.2mの峻険な雷電山に築かれている。城へ行くには、鍾乳洞公園から南に伸びる林道を使っていくのが、最も手っ取り早い。但し、途中で道が荒れるので、そこからは車を降りて歩き、取り付きやすそうなところから西の尾根に登り、後はひたすら傾斜のきつい尾根を登っていくしかない。ちなみに西尾根の鞍部には古い峠道と思われる切り通しがある。谷山城は急峻な山上の小砦で、山頂に三角形をした主郭が築かれている。周囲に低土塁を築いた曲輪で、中央には土壇があって雷電神社の祠が祀られている。南には帯曲輪が2段築かれ、南尾根の遥か下方に出丸らしきものがあり、手前に堀切もあるが、これも昔の峠道の切り通しの様に見える。出丸は自然地形も多く、形状がはっきりしない。谷山城は、遺構を見る限り臨時に取り立てた城の様に思われ、仁田山城に対する向城として由良氏が築いたというのが実情の様に思われる。
南尾根の堀切→IMG_1798.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.460398/139.310095/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国北条氏五代 (中世武士選書)

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タグ:中世山城
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