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深沢城(群馬県桐生市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1817.JPG←外郭から見た主郭
 深沢城は、神梅城とも言い、この地の土豪阿久沢氏の居城である。阿久沢氏は、黒川谷の郷士の旗頭的存在で、室町中期頃迄は阿久沢氏らの黒川郷士は独立した武士団となっていたらしい。しかし桐生氏が黒川谷に進出すると桐生氏に服属し、桐生氏が滅亡すると、金山城の由良氏の勢力下に入った。この頃由良氏は小田原北条方で、越相同盟が破れたため、1574年には深沢城は上杉謙信の攻撃を受けて攻略されている。その後、謙信の急死と御館の乱による上杉勢力の減退により、深沢城は再び由良国繁に服属した。しかし1584年、由良氏が北条氏から離反し、それを契機に佐竹・宇都宮両氏を主軸とする北関東連合軍と北条の大軍が下野国沼尻で110日間に渡って対峙した時には、北条氏は阿久沢氏を調略して敵勢の切り崩しを図り、阿久沢氏ら在地衆に命じて五覧田城を攻略した。その際北条氏直は深沢城主阿久沢彦二郎の戦功を賞し、腹巻・甲・刀など破格の褒美を与え、北条氏照は彦二郎に五覧田城の普請を命じている。その後、沼尻合戦が勝敗を決しないまま終結した後、由良氏は北条方の拠点となっていた深沢城を攻撃したが、阿久沢能登守直崇らは激戦の末にこれを撃退した。1590年に北条氏が滅亡すると、阿久沢氏は帰農し、深沢城は廃城となった。

 深沢城は、渡良瀬川西岸の台地上に築かれている。この台地は、比高110m程あり、そこに広やかな緩斜面が広がっており、城集落がある。深沢城は、城集落南の崖端に位置している。地勢上、主郭が外郭より低い位置にある穴城形式となっている。断崖上の南西端に方形の主郭が置かれ、北西角部のみわずかな土塁が築かれ小祠が祀られている。主郭の北と東は大きな空堀が穿たれている。主郭の東には二ノ郭があり、大きな平場となっている。二ノ郭の東側にも自然地形を利用した大きな空堀が穿たれているが、北側は堀が続いていない。二ノ郭の東から主郭北側にかけては外郭で、そこには正円寺の境内も含まれる。正円寺の北から東にも土塁と空堀が築かれている。この他、主郭の西と南、二ノ郭の南にかけては腰曲輪が廻らされている。更に西の斜面にも腰曲輪らしい平場が見られる。更に南西には「登城」と呼ばれる細尾根があり、小郭と堀切2本が確認できるが、曲輪の幅が狭く、土橋程度の遺構で、その名の通り登城道の一つとして機能していたものかもしれない。尚、正円寺には阿久沢氏の墓が残っている。
ニノ郭から見た南腰曲輪→IMG_1867.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.484417/139.254327/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


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